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玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。  新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。 個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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自称「ドS」と「無礼者」の違いがわからない。
無礼者は嫌いだよ。

(プレイはパートナーと行うべきだろう…痴漢行為だよな)
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五日ほど前のこと。
軟らかい鉛筆で半畳くらいの紙に、ひたすら下絵を描き続ける夢を見た。
現実の5倍速くらいで、描いては反古にし、描いては反古にし、また描いて…
延々と繰り返す。
描く私と背後から見ている私がいる。
見る私は動かず、描く私は時折向きが切り替わる。
描く私は全力の集中を強いられるので、幾度か耐えきれずに飛び起き…
(殴られるような動悸がし、右腕の筋肉が緊張していた)
また眠ると同じ夢を見、朝までそれを繰り返した。


その日、習作をやめ本番に入る。
翌日、モチーフの観察へ。


その晩の夢。
木の模型が建っている。
まだ幹と太い枝の途中までと一本の梢しかなく、全体に張りぼてのような幼稚な造りで、所々部分的にリアルに作り込んである。
裏へ回ると、そちら側は全くの幼稚な張りぼてで…
色紙をぺりりと捲って覗き込むと、内壁に、アロエの葉肉のような透明なものが付着していた。
これを増やし、育て、満たさねばならない。
色紙を閉じて戻し、今度は梢を慎重に検分…
数ヶ所の枝の継ぎ目をぺりりと剥がし、角度を修正してまたベージュのパテで固定した。


そんなこんなで、描いている。
今回はモチーフが自宅から少し離れているため観察出来る日が限られていて。
可能な日に出掛け、簡単なスケッチと共に極力記憶し、脳内でいろいろあれこれと合成して描いている。のだと思う。たぶん。
(画面の構成は、たぶん無意識…私の脳内に別の構成係がいるような感覚で、私自身は下請けというか肉体労働者というか、そんな感覚なのです)


さて。どうなるだろう。
神埼宣武「開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見」
塩見鮮一郎「乞胸 江戸の辻芸人」
中島千波「技法シリーズ4 日本画の描き方 花と静物」
西山英雄「日本画入門」
「別冊太陽 狩野派決定版」
原田津「ゆれる旅」
開高健「輝ける闇」
川元祥一「旅芸人のフォークロア 門付芸「春駒」に日本文化の体系を読みとる」
吉行淳之介「目玉」
「内田百けん集成12 爆撃調査団」
岩合徳光「丹頂鶴 中国・日本のタンチョウ」(写真集)
岩松健夫「タンチョウの詩」(写真集)
開高健「歩く影たち」
田口昌樹「民俗選書vol.17 菅江真澄」


感想とか。
「輝ける闇」…
ベトナム戦争を描いた長編(260頁)。「夏の闇」と対になっている。
このニ作の読書は、衝撃的な体験でした。
実際に現地に赴いてまさに「死線」を体験し描かれた、戦争の、濃密な気配・匂い・触感…
戦時下が舞台のドラマ、ではなくて、なんだろう、たぶんこの作品の主人公は「戦争」そのものなのではないかしら。
(「歩く影たち」は短編集で、ベトナムやアフリカの戦地での、こぼれ話のような。何気ない風景画のようで、時にそれが却って「戦争」の気配を浮き彫りにするような)
読む前は、何故著者は戦地に赴かねばならなかったのだろう、と単純に疑問を感じてもいたのだけど、読んで納得。
しかしなんでまたそこまで…という疑問に、「歩く影たち」解説の「これはベトナムものではなく、文学そのものである。」という文にて納得。
そして、絵を志す私としては、大変に勇気づけられたのです。文学万歳!

「目玉」…
短編集。どこまでもドライで客観的的な視点が格好よく。時にふとどこかに寒気を感じたり。

「ゆれる旅」…
そういえば、知らない土地を旅行するとき私は常に戸惑っていたかも知れない。
戸惑いを取り除くことで、戸惑うことをやめることで、見えなくなるものがあるのかも知れない。
感情的な装飾を取り除くことで、却って生き生きと立ち昇ってくるものがあるような気がする。

「爆撃調査団」…
短い随筆集。
きゅっと詰まった「百けん節」がたくさん味わえます。美味しかったです。
最近読んだ本の中から、面白く感じた部分をそのまま抜き出し。


神埼宣武「開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見」…「はじめに」より…

人は、誰もが幸運を願っています。
運命のままに泰然と過ごす、と粋がってみても、なかなかそうはいきません。少なくとも、いわれなき不運にみまわれたくない、と誰しも思っているはずです。
そこに、「まじない」や「えんぎかつぎ」が生じます。でも、他力本願ではありません。いうならば、「自己癒し」です。所詮は自己満足の気分転換、というしかないのですが、ただ、誰もそれを批判したり否定するわけにはいかないでしょう。たとえば、自分だけが不運だと思い込んで、自殺や犯罪に追い込まれるよりは、よほど健全です。また、自己を喪失した状態で、あやしげな宗教団体にのめりこんでいくよりも健全です。まじないやえんぎかつぎをすることで、精神が安定するならば結構なことではありませんか。そして、それは、誰にも迷惑をかけないことに、何よりも救いがあるのです。


開高健「輝ける闇」の解説(秋山駿)より…

作家が、その持てる力のすべてを賭けた、というような作品がある。開高氏にとっては、この「輝ける闇」がそれである。出来上がったものが傑作であるか愚作であるか、そんな問いを作家は許さない。作家の生の全体が予感している一種の絶対的なものが、その作品を書け、と強制するからである。
こういう強制(作家はしばしば無意識であるが)に出遭って、作家は不幸である。なぜなら、そこから作家の汗と苦痛の辛い労役、絶体絶命の場面が始まるからである。こういう労役は人に傷を与える。むろん、傷は、作家の内密な場所で刻印されるために、人の眼には見えない。が、見える人には見えるだろう。長い徒刑囚のような印が、彼の額に押されるからである。そして、それこそが真正の作家の徴しである。


開高健「歩く影たち」の解説(日野啓三)より…

これはベトナムものではなく、文学そのものである。
近所のショッピングセンターの片隅に、コイン式のマッサージチェアを見付け。
(スーパー銭湯等にある、100円入れると10分間ぐいんぐいんしてくれるあれです)
利用してみた。
恍惚と小刻みに揺れていたらば、自分が疲れていることを思い出した。


絵が仕上がってからも、制作中に極限まで上がりきっていたテンションがなかなか落ち着かず…
溜め込んでいたあれやこれやを片付けながら、無駄にわさわさと右往左往していて。
もうやたらと元気で愉快であったのだけれども、気付いた途端に朦朧と、「何の呪いだ!?」てくらいにだるくなり。
へろへろと帰宅して寝込む。
なんか…いろいろ痛いじゃないか。
分解した澁澤くんのような心地である。



P2010_0303_144956.JPG












 「へへ…動けないんだぜ…」





(澁澤くんとは、二年前の誕生日に貰った人体解剖パズル。ちょうどこの頃、作家の澁澤龍彦さんと誕生日が同じであることを知り、嬉しくなって命名。たまに晩酌の相手をしてもらいます)


焦点の合わない目で天井を見上げつつ思った。
どうして…私はこんなに阿呆なんだろう。


(今更…)
(気付いただけいいのかしら)
(じっとしているとあれこれ益体もないことを思ってしまいます)



一昨日の夜見た夢。
集中し、全身の力を込めてふーっと息を吹く。
するとそれは、1m前後の半透明の棒になる。
吹く間の私の念によって、棒の太さと曲がり具合が変化する。
失敗したものは砕いてまた飲み込みながら、慎重に懸命に、棒を作ってゆく。
昨夜見た夢。
前の晩に作った棒を、組み立ててゆく。
こてでもってベージュのペーストを扱い、棒と棒とを接いでゆく。
角度が決まるとはーっと気合をかけ、ペーストと棒とを同化させる。
どうやら新しいモチーフのミズキの模型を作っているようだった。



あぁ。早く描きたいなぁ。
とりあえず一日休みます。
休息とは停滞ではなく、時間の浪費ではなく、次への準備なのだ。
恐れてはいけない。
…ねぇ澁澤くん。



P2010_0303_171450.JPG












 「あはははは阿呆だなあ!」






むか。


(偏屈で友達の少ない大人がお人形遊びをしています)
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。

連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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