玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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最近読んだ本の中から、面白く感じた部分をそのまま抜き出し。
神埼宣武「開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見」…「はじめに」より…
人は、誰もが幸運を願っています。
運命のままに泰然と過ごす、と粋がってみても、なかなかそうはいきません。少なくとも、いわれなき不運にみまわれたくない、と誰しも思っているはずです。
そこに、「まじない」や「えんぎかつぎ」が生じます。でも、他力本願ではありません。いうならば、「自己癒し」です。所詮は自己満足の気分転換、というしかないのですが、ただ、誰もそれを批判したり否定するわけにはいかないでしょう。たとえば、自分だけが不運だと思い込んで、自殺や犯罪に追い込まれるよりは、よほど健全です。また、自己を喪失した状態で、あやしげな宗教団体にのめりこんでいくよりも健全です。まじないやえんぎかつぎをすることで、精神が安定するならば結構なことではありませんか。そして、それは、誰にも迷惑をかけないことに、何よりも救いがあるのです。
開高健「輝ける闇」の解説(秋山駿)より…
作家が、その持てる力のすべてを賭けた、というような作品がある。開高氏にとっては、この「輝ける闇」がそれである。出来上がったものが傑作であるか愚作であるか、そんな問いを作家は許さない。作家の生の全体が予感している一種の絶対的なものが、その作品を書け、と強制するからである。
こういう強制(作家はしばしば無意識であるが)に出遭って、作家は不幸である。なぜなら、そこから作家の汗と苦痛の辛い労役、絶体絶命の場面が始まるからである。こういう労役は人に傷を与える。むろん、傷は、作家の内密な場所で刻印されるために、人の眼には見えない。が、見える人には見えるだろう。長い徒刑囚のような印が、彼の額に押されるからである。そして、それこそが真正の作家の徴しである。
開高健「歩く影たち」の解説(日野啓三)より…
これはベトナムものではなく、文学そのものである。
神埼宣武「開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見」…「はじめに」より…
人は、誰もが幸運を願っています。
運命のままに泰然と過ごす、と粋がってみても、なかなかそうはいきません。少なくとも、いわれなき不運にみまわれたくない、と誰しも思っているはずです。
そこに、「まじない」や「えんぎかつぎ」が生じます。でも、他力本願ではありません。いうならば、「自己癒し」です。所詮は自己満足の気分転換、というしかないのですが、ただ、誰もそれを批判したり否定するわけにはいかないでしょう。たとえば、自分だけが不運だと思い込んで、自殺や犯罪に追い込まれるよりは、よほど健全です。また、自己を喪失した状態で、あやしげな宗教団体にのめりこんでいくよりも健全です。まじないやえんぎかつぎをすることで、精神が安定するならば結構なことではありませんか。そして、それは、誰にも迷惑をかけないことに、何よりも救いがあるのです。
開高健「輝ける闇」の解説(秋山駿)より…
作家が、その持てる力のすべてを賭けた、というような作品がある。開高氏にとっては、この「輝ける闇」がそれである。出来上がったものが傑作であるか愚作であるか、そんな問いを作家は許さない。作家の生の全体が予感している一種の絶対的なものが、その作品を書け、と強制するからである。
こういう強制(作家はしばしば無意識であるが)に出遭って、作家は不幸である。なぜなら、そこから作家の汗と苦痛の辛い労役、絶体絶命の場面が始まるからである。こういう労役は人に傷を与える。むろん、傷は、作家の内密な場所で刻印されるために、人の眼には見えない。が、見える人には見えるだろう。長い徒刑囚のような印が、彼の額に押されるからである。そして、それこそが真正の作家の徴しである。
開高健「歩く影たち」の解説(日野啓三)より…
これはベトナムものではなく、文学そのものである。
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プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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