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玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。  新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。 個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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空へ若竹のなやみなし
(種田山頭火)


屈託のない人間にこんな句を詠めるものか。
屈託のない人間がこの句に感動するものか。
(屈託の全くない人間など存在しないのだろうけど)


直線だと思っていた竹は、観察したら実にゆたかな曲線で…
そして何処までもまっすぐである。



それでも空へ向かうのだ。
それでもまっすぐ伸びるのだ。



ちくしょう泣けてくる。
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キモチイイな竹。

すげぇイイ。
なんてぇことだ!
竹、てのは直線だと思っていたのだけど…
途轍もない曲線だ。
本当、途轍もない!
先日友人のブログを読ませてもらって思ったことをだらだらと。
(許可いただいて→ http://d.hatena.ne.jp/ymodenet/20090401 )
道徳教育に絵本や童話の読み聞かせが有効ではないか?とのご意見に対して。賛成です。
(宗教に関してはまたいろいろと思うところがあるもので、また改めて)


まず人とアートについて、思うこと。
美しいもの、素晴らしいもの、圧倒的な(プラスの)力を持つもの…に触れて心を震わせた経験は、人を強くすると思う。
生きていると、楽しいこと素敵なこともたくさんあるけど、悲しいこと辛いことだってあるわけで。
この世には美しいものがたくさん存在するけど、醜いものも確実に存在するわけで…
しんどいものに出くわして折れそうになった時、「それでもこの世は美しい」ということを実感した経験があれば、そこから現状に打ち克つ力が湧いて来ると思う。
(えと、好みはいろいろですがここでは…
私が美しいと思うもの…無駄なく力強い形…例えばありのままの自然、生命力、人の精神のある一部分
(生命力…幼子や美味しいごはんも美しいと思う)
「美」にダイレクトに触れる作品は素晴らしく圧倒的で…
醜いものは、例えば不公平な立場を利用した暴力とか、個人の責任を越えた謂われのない差別とか、幼児虐待とか)
(普段私はもっとラフにルーズに「美しい」「醜い」と使ってますが、今ここでは、仮に)
(アートとは、作者がそれぞれの価値観・情緒・センスによって「美」を、ある程度の互換性を持つ形で眼前に引き摺り出す行為であると思う)


アートは人を打たれ強くすると思うのですよ。
(実際私は何度もアートに救われました)


子供とアートについて。
幼い頃に美しいものに触れた経験は…上に同じ。
また、良質なフィクション…ここでは例えば、素晴らしく圧倒的な作品、絵本や物語…に触れる経験は、視点や発想を転換する力、想像力や共感力を高めると思う。
それらの力は、生きてゆく上でなかなか役に立つのではないかしら。(それだけでは食えませんが)
良質な作品は、情緒的な先人の英知でもあると思う。
(作者が自身の人生経験から誠実に抽出したものなのでは)


例えば、命には限りがありそれゆえに大切であること。
心も怪我をするし怪我をすれば血が出て痛いということ。
目的地に辿り着く道順は実に多様であること。
真実もまたたくさんあること。
…そのようなことを、私は絵本や物語からも学んだように思う。
(学んだけど忘れてたな、て書きながら思い出したり)



…以上は私の体験と実感からの理想論なのですが。
以下は漠然としたイメージからの、或いは夢物語なのかも、なものなのですが。


大人になればまぁいろいろとあるわけだけど、まだ骨格や精神が固まらない子供たちには、この世は平等で素敵なところだと思うチャンスが与えられるべきではないかしらと。
それが例えば義務教育なのかしらと。
また、あなたの存在は無条件で素晴らしくかけがえのないものだ、という根っこの部分の揺るぎない肯定が、すべての子供に与えられればいいのに。
(そこから、自分は大切=相手も同様に大切と展開出来るはず)


…とまぁ、これはあくまでも理想・綺麗事で、現実はなかなかそうは立ち行かないわけだけれども。
(いっそファンタジーに近いのかも知れない)
ここで。
アートてぇのは独特の座標・質量を持っているので…
現実に生活してゆくなかで、どうしていいかわからないこと、対峙するのがひどく困難なこと、公式やデータでははかり得ない、時には零れてしまうこと…
それらの痛みに対して、アートにこそ出来ることがあるのでは?と思うのです。


そして以下は私の個人的な思い入れ。
私は濾過装置をつくりたい。


痛みもまたパワーなわけで、対峙し努力することでプラスのパワーに変換出来る。
しかしそれは、まったく以て容易でないことで。
アートにはその助けとなることが出来るはず。
1ミリでも、そんな力を持つ絵を私は描きたい。
(私自身、濾過装置がほしいから)


…などと深夜にひとり、焼酎片手にぐるぐる燃えて。
理想を語りたいお年頃なんですよ今更。
(現実逃避ではない…はず…)




(…そうそうそう。こういう場合、「トラックバック」てぇものをするべきなのですか?
おばちゃんわかりません(泣)
説明読んだけど皆目わかりません(泣)
春爛漫でございますね。
冬の間かたく沈黙していた枝たちが一斉に、炎のような若葉を噴出していますやね。
まったく、何処にこんなに隠れていたのかと不気味になります。
圧倒的な生命の息が熱気が大気全体に立ちこめて、なんつぅか世界に大正浪漫な色調の靄がかかっているようで…
空気が甘ったるいゼリーになったようで…
しんどくなります。
春は苦手です。


(…そして春が、おれのところに、ぞっとするような白痴の笑いを運んできたのだ。…
というランボオの一節を毎年思い出す。
…やれやれ!そんなものならいやと言うほど手に入れたよ。-だけど、親愛なるサタンよ、伏してお願いしたいんだがね、そんなに苛々した眼付きはしないでくれないか!…)


私は枝が好きです。
そらもう大好きなんです。
もしかしたら偏愛とか執着とかフェチズムとか言ってもよいのでは?と思うくらい…
以前これが「萌え」であると諭されたのですが…「萌え」とはこのように激しい衝動なのでしょうか。
心臓を絞って炙られるように、痛いくらい泣きたいくらいに愛しいのです。
もしも私が男性であったなら、きっとグラビアよりも枝です。


冬の間はそらもう何処を見ても堪らん様相で…
いいいいんですか!?こんなにサービスしてもらっちゃって…ぃやいやまいったなうへへへ…てな心持ちで。
(以前知り合いの男性が「自分はスーツ姿の女性が大好きなので、たまに丸ノ内に赴き出勤するOLさんたちに紛れて観察する。眼鏡はなおよろしい」と告白して周囲から詰られていましたが、私は詰ることが出来ませんでした)
視界一杯世界一杯に、求愛したい光景…モチーフが溢れているのですが。
今は…


木々を見渡しても、いつか描こうと焦がれていた場所に足を運んでも、いつもの衝動がやって来ません。
あの、体の芯から衝き上がり脳も神経も痺れるような…
どうしようこの私としたことが。
春の所為なのかどこか悪いのかしら。


(…まことのことばはうしなはれ  雲はちぎれてそらをとぶ  ああかがやきの四月の底を  はぎしり燃えてゆききする  おれはひとりの修羅なのだ …
宮沢賢司のこの一節を、桜の蕾が膨らみはじめる頃、早春によく思い出す。
…(おおこのにがさ青さつめたさ)
これはとても熱い詞だと思う)


どうしようこの私としたことが。
お絵描きしたくないなんて。
お絵描きと、それに纏わる作業(集中とか観察とか)がしんどいなんて。
なにも考えず心静かに寝ていたいなんて。



あぁ、疲れてるのか…?


(展示前のぐるぐる逡巡日記でしたすみません)
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。

連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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