玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
山形土産にいただいた。
いも煮ドロップス。
口に含むと、一瞬鼈甲飴のようで…
その後、牛肉の大和煮缶のような煮込まれた肉、里芋、葱の風味がやって来て…なんつぅか、消極的な煮凝りのようで、しかしやっぱり飴で。
やりきれない気持ちになります。
一体何を意図して作られたのでしょうか。
しかもこの缶。
「蛍の墓」で節子が持っていた…
なんつぅかこう、「文芸的トラウマ」にアクセスしてしまうよ。
(あの映画はヘヴィ過ぎて具合が悪くなりました。原作も持っていますが、2頁から先に進めません。
あと、小学校の図書室で読んだ「はだしのゲン」も軽いトラウマです。
あと、丸木位里・俊の画集とか。いわさきちひろ「戦火のなかの子供たち」とか。(書きながら涙が出てきたよ)
私は「戦争」と聞くともぅ反射的に吐き気がするほど恐ろしいのです)
「テンションが下がる味」とはこのような味のことを云うのでしょうか。
(ちょっと違うだろうな)
無駄に情緒不安定な自分がキモチワルくなってきたぜ。
悔しいので誰かを騙して食べさせようと思います。
…ところで、サクマ式ドロップス。
私はあれチョコ味と薄荷味が好きだったのだけど。
最近のには入っていないのですね。
PR
今、佐々木徳夫「馬方と山姥~陸前・岩代の昔ばなし」という、福島・宮城のお年寄りたちの語る昔話を、極力その口調のまま集録した本を読んでいるのだけど。
「猿聟入」て話がどうにも切ないのです。
(掻い摘まみ)
農業を営む男性が、ふとしんどくなり、傍らに居た猿に「三人いる娘のどれか一人を嫁にあげるから、手伝ってくれないかな」と話し掛けたところ、張り切って全部やってくれて。
帰宅して娘たちに相談したところ、上の二人は嫌がり、結局末娘が嫁入りして。
そして後日里帰りすることとなり、父への土産に餅をついて…
「鍋に入れたら鍋くさい、重箱に入れたら重箱くさいと言って父は食わない」との嫁の言葉に、猿は臼ごと背負い。
帰る道すがら、川辺りに咲く桜の枝を「父が好きだから」と猿は折りに登り…
「臼を下ろしたら土くさくなる」と言われて背負ったまま、「もっと上へ」と言われるまま登るうちに、枝が折れて川に落下。
喜びはしゃぐ嫁の姿を猿は勘違いして…
「猿沢に流るる命惜しくない、姫の泣く声ぞいとしき」と詠んで、臼の上になり下になり流れていったそうな。
…猿(涙)
異類婚姻譚に興味津々。
それは族外婚を示している、(例えば、聟が蛙とか河童とか水を連想させる生物であった場合、川の下流に位置する村が水を獲得するために上流に位置する村との友好関係締結を目的として嫁を差し出した、とか)とも言われるらしいですが。
しかし猿(涙)
あんまりじゃあないか。
先日、日本手拭いを頭に巻いて(制作時のスタイル。最近は、高尾山で修行してもらった「勇猛精進」て書かれたものがお気に入り)真顔で右往左往する私(煮詰まってね)を尻目に、母が「いろんな32才がいるのね…」と呟いた。
少し悲しげだった。
テレビ画面には、ほしのあきが映っていた。
(涙)
(ぃや好きですけどね、ほしのあき。(プロフェッショナルで格好ええと思う)
母はいろいろと間違っていると思う)
「猿聟入」て話がどうにも切ないのです。
(掻い摘まみ)
農業を営む男性が、ふとしんどくなり、傍らに居た猿に「三人いる娘のどれか一人を嫁にあげるから、手伝ってくれないかな」と話し掛けたところ、張り切って全部やってくれて。
帰宅して娘たちに相談したところ、上の二人は嫌がり、結局末娘が嫁入りして。
そして後日里帰りすることとなり、父への土産に餅をついて…
「鍋に入れたら鍋くさい、重箱に入れたら重箱くさいと言って父は食わない」との嫁の言葉に、猿は臼ごと背負い。
帰る道すがら、川辺りに咲く桜の枝を「父が好きだから」と猿は折りに登り…
「臼を下ろしたら土くさくなる」と言われて背負ったまま、「もっと上へ」と言われるまま登るうちに、枝が折れて川に落下。
喜びはしゃぐ嫁の姿を猿は勘違いして…
「猿沢に流るる命惜しくない、姫の泣く声ぞいとしき」と詠んで、臼の上になり下になり流れていったそうな。
…猿(涙)
異類婚姻譚に興味津々。
それは族外婚を示している、(例えば、聟が蛙とか河童とか水を連想させる生物であった場合、川の下流に位置する村が水を獲得するために上流に位置する村との友好関係締結を目的として嫁を差し出した、とか)とも言われるらしいですが。
しかし猿(涙)
あんまりじゃあないか。
先日、日本手拭いを頭に巻いて(制作時のスタイル。最近は、高尾山で修行してもらった「勇猛精進」て書かれたものがお気に入り)真顔で右往左往する私(煮詰まってね)を尻目に、母が「いろんな32才がいるのね…」と呟いた。
少し悲しげだった。
テレビ画面には、ほしのあきが映っていた。
(涙)
(ぃや好きですけどね、ほしのあき。(プロフェッショナルで格好ええと思う)
母はいろいろと間違っていると思う)
ローションティッシュて、肌触りがよすぎて不気味です。
使う度に騙されているのではないかと不安になります。
蒸し暑いので久々にアイスを食しました。
井村屋のあずきバーはなかなかに美味だと思います。
近所で蜀葵が咲いています。
群生するその様はなかなかに見事。空へ突き上げる茎の様は気味がよいです。
現在の住居に越してきた頃にも咲いていて…
そうかそろそろ一年が経つのか。
越したばかりで帰途が覚束ない母に「橋を渡って野良猫の多い道を通り、蜀葵を左」と説明したことを、未だに笑いのネタにされます。
不本意です。
(本当に多いんですよ野良猫)
梅雨前線の影響でしょうか。
時折耳が詰まるようで目が回ります。
忌々しいです。
制作が思うように進まず気が気じゃないもので、(制作初期は、脳内で組み立てる時間が長くてなかなか描き出せなくて)こういう時こそ些細な日常ごとを大事にしよう!と思い立って綴ってみたのですが。
私、ばぁさんみたいだな。
(私の「若さ」は何処へいってしまったのかしら。何処で何をしているのかしら。昔は手元にあったように思うのだけど)
(制作の原動力は生命力であるよな気がする。すり減っちまってねぇ)
夕立だ。
降りはじめのこの匂いは悪くないな。音も佳し。
今日はもう動けないので、飲酒をはじめてしまいます。
肴は夕立とひじき。
蓮と梅干入れて炊くのが好みです。
使う度に騙されているのではないかと不安になります。
蒸し暑いので久々にアイスを食しました。
井村屋のあずきバーはなかなかに美味だと思います。
近所で蜀葵が咲いています。
群生するその様はなかなかに見事。空へ突き上げる茎の様は気味がよいです。
現在の住居に越してきた頃にも咲いていて…
そうかそろそろ一年が経つのか。
越したばかりで帰途が覚束ない母に「橋を渡って野良猫の多い道を通り、蜀葵を左」と説明したことを、未だに笑いのネタにされます。
不本意です。
(本当に多いんですよ野良猫)
梅雨前線の影響でしょうか。
時折耳が詰まるようで目が回ります。
忌々しいです。
制作が思うように進まず気が気じゃないもので、(制作初期は、脳内で組み立てる時間が長くてなかなか描き出せなくて)こういう時こそ些細な日常ごとを大事にしよう!と思い立って綴ってみたのですが。
私、ばぁさんみたいだな。
(私の「若さ」は何処へいってしまったのかしら。何処で何をしているのかしら。昔は手元にあったように思うのだけど)
(制作の原動力は生命力であるよな気がする。すり減っちまってねぇ)
夕立だ。
降りはじめのこの匂いは悪くないな。音も佳し。
今日はもう動けないので、飲酒をはじめてしまいます。
肴は夕立とひじき。
蓮と梅干入れて炊くのが好みです。
初めての巡礼は、なんというか、心地よくて静かに愉快だった。
ただひたすらに、歩き、お参りをする。
時折「私、なにしてるんだろう」「いやだからお参りでしょ」などと脳内で一人会話をしつつ、次の札所を目指す。
こんな機会がなければ通ることはないだろう、なんでもない山道、民家の裏、田圃。
道端に花が咲いていたり。
段々と頭の中がシンプルになる。
意味や目的や結果等に縛られることなく何かに打ち込む、てなかなかに贅沢だと思う。
また目的地に着くことで得られる小さな達成感。
次の札所はどんな?という好奇心。
お参りをしている…心身にちょっと良いことをしているような、安心感。
古からのたくさんの先人たちの、優しい気配。
(そう。巡礼道にも札所にも人の気配があるのだ。昔も今も生活に寄り添って大切にされているのだな、という、体温のような)
ここで俄に、そもそもの基本的な事が気になってきたもので、大雑把に調べてみました。
○巡礼とは
寺社など聖地・霊場(=霊験あらたかな場所)を参拝して巡ること。
札所とは仏教の霊場。(古くは参拝の証しとして木札を打ち付けた)
札所巡礼は、弘法大師(空海)の足跡を巡る四国八十八ヵ所(=遍路)と、観音霊場を巡るものが主。
○観音さまとは
観世音菩薩、又は観自在菩薩。
衆生の「音」=声をあまねく「観」て「自在」に救う、慈悲の菩薩。
現在人気のあるお経…般若心経と観音経の、主人公はどちらも観音さま。て例を引くまでもなく、広く親しまれ信仰されていますよね。
災難を取り除いて幸運を授けてくれる、という現世利益。
その優しげなイメージから、(仏に性別はないし元々は男性だったらしいけど)女性的・女性の姿で表されることが多い。
(なんつぅか、わかりやすくて「お母さんぽい」ところが人気なのではないかしら)
六道(=地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天。仏教的世界観。魂はここを輪廻して巡る)すべてに姿を変えて現れて(=六観音…聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空羂索(ふくうけんじゃく)or准てい観音、如意輪観音)衆生を救い…全部で三十三の姿に変化する。
坂東、西国の札所が三十三ヵ所なのはここから。
合わせて百とするために、秩父に一ヵ所加えられ、三十四ヵ所となったのだって。
○歴史
巡礼という習慣は、平安中期に始まったらしい。
当時は修行・苦行的な意味合いが強く、信仰心の発露や願掛けとして行われたり…
そのうちに宗教的な習慣となり、村等の共同体によっては(成人や共同体の一員となるための)通過儀礼と定められたり。
それが江戸・元禄の頃、世の中が落ち着いて、交通網が発達(…街道の整備、宿泊施設の充実、馬・駕籠等の営業化など)したり、治安も景気もよくなって…
行楽の要素が加わって、広く民衆に親しまれるようになったのだそうです。
農民層で特に盛んで(農閑期があるから出易かった)、信仰の旅ということで規制もされにくく、日常や身分から解放される…
庶民にとっては一世一代の娯楽であったとか。
(江戸庶民はお参り好き。時花(はやり)神と呼ばれ、時折特定の神社や木などが流行して参拝者が殺到し、また廃れたのだって。同時の神仏は、今でいうならメディアやファッションなのかしら)
…以上、付け焼き刃の巡礼豆知識でした。
私は何故、巡礼したいと思ったのだろう。
ストレスを発散して自律神経を整えたかった。
日頃使い過ぎている目・肩・腕を休めて、使い足りない足腰を使いたかった。
現在の住居から比較的楽に行ける秩父に興味があった。
…という理由もあるのだけれど、要するに…
日常から離れ、観音さまに会いたかったのだ。
ちょいと疲れて弱気になっちまい、なにか大きくて慈悲深い存在に甘えたくなったのだ。
(私は日頃、女子たるもの責任転嫁泣き言まかりならん、後悔自己憐憫無益、四の五の言わずに描くべし進むべし、と戒めているのですが。このとこいろいろあって少ししんどくなり…)
札所札所の本堂の奥で、境内の片隅で、観世音菩薩は凛と優しげに佇んでおわした。
歩きながら心中で泣き言を並べてみようと思うのだけど、何が言いたかったのだか思い出せない。
(この世には本当に膨大な人々が居て、膨大な生活が人生があるわけで。古から現在まで、本当に膨大な人々が、それぞれの思いを抱いてこの道を歩いたわけで)
(現在に集中すると、過去も未来も影が薄くなりますやね。囚われてはいけない。自分が生きるのはどこまでも現在であるわけで)
心身に詰まっていた古釘のようなあれやこれやが解け始めたら、なんだかシンプルに、絵を描きたいな、と思った。
巡礼の道は同行二人。
四国ではお大師さまが、観音巡礼では観音さまが、同行してくれるのだって。
おデートである。
よしよし。また日常を頑張ろう。
今回巡ったのは十一番まで。
まだあと二十三ヵ所残っている。
いろいろと頑張って、しんどくなったらまた、観音さまに会いに来よう。
昔も今も、きっと人は誰しも不安で、そして大丈夫なのだろう。
八番・西善寺にて、紅葉の大木の元におわした如意輪観音。
(参考文献…「地図帖 秩父札所案内」、清水谷孝尚「巡礼と御詠歌 観音信仰へのひとつの道標」、山折哲雄監修「別冊太陽 日本の神」、(学研)「密教の本」、(現代仏教を考える会)「仏教早わかりエッセンス事典」)
(観音信仰について、興味が湧いてきたですよ!)
ただひたすらに、歩き、お参りをする。
時折「私、なにしてるんだろう」「いやだからお参りでしょ」などと脳内で一人会話をしつつ、次の札所を目指す。
こんな機会がなければ通ることはないだろう、なんでもない山道、民家の裏、田圃。
道端に花が咲いていたり。
段々と頭の中がシンプルになる。
意味や目的や結果等に縛られることなく何かに打ち込む、てなかなかに贅沢だと思う。
また目的地に着くことで得られる小さな達成感。
次の札所はどんな?という好奇心。
お参りをしている…心身にちょっと良いことをしているような、安心感。
古からのたくさんの先人たちの、優しい気配。
(そう。巡礼道にも札所にも人の気配があるのだ。昔も今も生活に寄り添って大切にされているのだな、という、体温のような)
ここで俄に、そもそもの基本的な事が気になってきたもので、大雑把に調べてみました。
○巡礼とは
寺社など聖地・霊場(=霊験あらたかな場所)を参拝して巡ること。
札所とは仏教の霊場。(古くは参拝の証しとして木札を打ち付けた)
札所巡礼は、弘法大師(空海)の足跡を巡る四国八十八ヵ所(=遍路)と、観音霊場を巡るものが主。
○観音さまとは
観世音菩薩、又は観自在菩薩。
衆生の「音」=声をあまねく「観」て「自在」に救う、慈悲の菩薩。
現在人気のあるお経…般若心経と観音経の、主人公はどちらも観音さま。て例を引くまでもなく、広く親しまれ信仰されていますよね。
災難を取り除いて幸運を授けてくれる、という現世利益。
その優しげなイメージから、(仏に性別はないし元々は男性だったらしいけど)女性的・女性の姿で表されることが多い。
(なんつぅか、わかりやすくて「お母さんぽい」ところが人気なのではないかしら)
六道(=地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天。仏教的世界観。魂はここを輪廻して巡る)すべてに姿を変えて現れて(=六観音…聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空羂索(ふくうけんじゃく)or准てい観音、如意輪観音)衆生を救い…全部で三十三の姿に変化する。
坂東、西国の札所が三十三ヵ所なのはここから。
合わせて百とするために、秩父に一ヵ所加えられ、三十四ヵ所となったのだって。
○歴史
巡礼という習慣は、平安中期に始まったらしい。
当時は修行・苦行的な意味合いが強く、信仰心の発露や願掛けとして行われたり…
そのうちに宗教的な習慣となり、村等の共同体によっては(成人や共同体の一員となるための)通過儀礼と定められたり。
それが江戸・元禄の頃、世の中が落ち着いて、交通網が発達(…街道の整備、宿泊施設の充実、馬・駕籠等の営業化など)したり、治安も景気もよくなって…
行楽の要素が加わって、広く民衆に親しまれるようになったのだそうです。
農民層で特に盛んで(農閑期があるから出易かった)、信仰の旅ということで規制もされにくく、日常や身分から解放される…
庶民にとっては一世一代の娯楽であったとか。
(江戸庶民はお参り好き。時花(はやり)神と呼ばれ、時折特定の神社や木などが流行して参拝者が殺到し、また廃れたのだって。同時の神仏は、今でいうならメディアやファッションなのかしら)
…以上、付け焼き刃の巡礼豆知識でした。
私は何故、巡礼したいと思ったのだろう。
ストレスを発散して自律神経を整えたかった。
日頃使い過ぎている目・肩・腕を休めて、使い足りない足腰を使いたかった。
現在の住居から比較的楽に行ける秩父に興味があった。
…という理由もあるのだけれど、要するに…
日常から離れ、観音さまに会いたかったのだ。
ちょいと疲れて弱気になっちまい、なにか大きくて慈悲深い存在に甘えたくなったのだ。
(私は日頃、女子たるもの責任転嫁泣き言まかりならん、後悔自己憐憫無益、四の五の言わずに描くべし進むべし、と戒めているのですが。このとこいろいろあって少ししんどくなり…)
札所札所の本堂の奥で、境内の片隅で、観世音菩薩は凛と優しげに佇んでおわした。
歩きながら心中で泣き言を並べてみようと思うのだけど、何が言いたかったのだか思い出せない。
(この世には本当に膨大な人々が居て、膨大な生活が人生があるわけで。古から現在まで、本当に膨大な人々が、それぞれの思いを抱いてこの道を歩いたわけで)
(現在に集中すると、過去も未来も影が薄くなりますやね。囚われてはいけない。自分が生きるのはどこまでも現在であるわけで)
心身に詰まっていた古釘のようなあれやこれやが解け始めたら、なんだかシンプルに、絵を描きたいな、と思った。
巡礼の道は同行二人。
四国ではお大師さまが、観音巡礼では観音さまが、同行してくれるのだって。
おデートである。
よしよし。また日常を頑張ろう。
今回巡ったのは十一番まで。
まだあと二十三ヵ所残っている。
いろいろと頑張って、しんどくなったらまた、観音さまに会いに来よう。
昔も今も、きっと人は誰しも不安で、そして大丈夫なのだろう。
八番・西善寺にて、紅葉の大木の元におわした如意輪観音。
(参考文献…「地図帖 秩父札所案内」、清水谷孝尚「巡礼と御詠歌 観音信仰へのひとつの道標」、山折哲雄監修「別冊太陽 日本の神」、(学研)「密教の本」、(現代仏教を考える会)「仏教早わかりエッセンス事典」)
(観音信仰について、興味が湧いてきたですよ!)
うまく眠れず絶不調であったのだけど、巡礼した晩はまあまあ良い睡眠を摂ることが出来(7時間ほど本気で歩いたおかげか)、目の具合が幾分ましに。
這いずるように制作を始める。
近所のモチーフの木の許へ行き、観察。
(観察→脳内で弄って構成→描く→観察→描いたものと脳内の情報を合わせて組み立て→描く…を繰り返すのです)
していたら急に暴力的な睡魔に襲われて、帰宅。
昏倒するように2時間ほど眠る。
目覚めたら少し体調が良くなっており、また観察、睡眠。
冗談みたいに眠れる。
入眠と覚醒の曖昧なあたりに度々、枝のような形をした影の蠢きが見えて…
覚醒時にはぐぃんぐぃん…と頭蓋内で脳髄が唸るような気色を覚えつつ。
吐き気を伴う頭と背中の激痛、臓腑を喰らわれるような不安が、少しずつ軽くなり。
目も、まともに見えている時間が(ピント調節機能が乱れてぼやけたり霞んだり腫れて痛んだりしていた)増えて。
三日が経つ頃、痛みは背中の一部に残るのみとなり…
深夜突然「そろそろゆるそうか」という声が聞こえて、痛みが霧散。
翌日よりペンが進み始める。
(そろそろ第一次構成は出来たから描き始めていいよ、という無意識の声だったのかしら)
普段通り眠れるようになった。
目もまともに見えるし、痛みもあまり感じない。
なんというか、まともに機能しているな、と感じる。
なんだろう…
やっぱり私には、描くことが切実に必要だ。
どうしても。
(描かないでいることが大きなストレスなのかしら)
「私って表現してないとだめな人だから」的な甘えは極力排したいのだけど。でも。
なんだろう。
恋患いみたいなものかしら。
(私という人間は夢を抱いているときだけに生きている。
…植村直己「エベレストを越えて」より。
氏にとって夢とは挑戦・実行・目標であり…
この言葉が強く印象に残っている。
私は描いている時にこそ生きているように感じる。
「そうだ、現実には一本でも多くのアイスハーケンを打ち込むんだ」
…同著より)
(エズメよ、彼は本当に眠たくなったのだよ。本当に眠たくなって眠れば、彼はそのうちに精神と体のあらゆる能力が無事な人間に戻ることができるのだよ。
…サリンジャー「九つの物語」収録「エズメのために―愛と惨めさをこめて」より。中川敏訳。
この訳が一番好きです)
這いずるように制作を始める。
近所のモチーフの木の許へ行き、観察。
(観察→脳内で弄って構成→描く→観察→描いたものと脳内の情報を合わせて組み立て→描く…を繰り返すのです)
していたら急に暴力的な睡魔に襲われて、帰宅。
昏倒するように2時間ほど眠る。
目覚めたら少し体調が良くなっており、また観察、睡眠。
冗談みたいに眠れる。
入眠と覚醒の曖昧なあたりに度々、枝のような形をした影の蠢きが見えて…
覚醒時にはぐぃんぐぃん…と頭蓋内で脳髄が唸るような気色を覚えつつ。
吐き気を伴う頭と背中の激痛、臓腑を喰らわれるような不安が、少しずつ軽くなり。
目も、まともに見えている時間が(ピント調節機能が乱れてぼやけたり霞んだり腫れて痛んだりしていた)増えて。
三日が経つ頃、痛みは背中の一部に残るのみとなり…
深夜突然「そろそろゆるそうか」という声が聞こえて、痛みが霧散。
翌日よりペンが進み始める。
(そろそろ第一次構成は出来たから描き始めていいよ、という無意識の声だったのかしら)
普段通り眠れるようになった。
目もまともに見えるし、痛みもあまり感じない。
なんというか、まともに機能しているな、と感じる。
なんだろう…
やっぱり私には、描くことが切実に必要だ。
どうしても。
(描かないでいることが大きなストレスなのかしら)
「私って表現してないとだめな人だから」的な甘えは極力排したいのだけど。でも。
なんだろう。
恋患いみたいなものかしら。
(私という人間は夢を抱いているときだけに生きている。
…植村直己「エベレストを越えて」より。
氏にとって夢とは挑戦・実行・目標であり…
この言葉が強く印象に残っている。
私は描いている時にこそ生きているように感じる。
「そうだ、現実には一本でも多くのアイスハーケンを打ち込むんだ」
…同著より)
(エズメよ、彼は本当に眠たくなったのだよ。本当に眠たくなって眠れば、彼はそのうちに精神と体のあらゆる能力が無事な人間に戻ることができるのだよ。
…サリンジャー「九つの物語」収録「エズメのために―愛と惨めさをこめて」より。中川敏訳。
この訳が一番好きです)
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
カテゴリー
ブログ内検索
最新記事
カウンター