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玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。  新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。 個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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目と手がオーバーヒートしたもので、一回休み。
平林寺へ参拝に出掛けた。


平林寺とは、新座市にある臨済宗のお寺。
広い境内には杉・楢・赤松等の樹木が繁り、野火止用水が流れていたり、素敵な武蔵野の風情。
茅葺きの建物と併せて天然記念物に指定されているのだって。
野火止塚や松平家墓所など文化財もあり。
また道場にもなっていて、修行僧の方々が日々研鑽を積まれているそうです。


P2009_0724_141652.JPG


















たまに小雨のぱらつく中、ぼんやりと散策する。
お寺や神社って、空気の流れが清々しい。
自分のなかの風通しもよくなるようだ。



いろいろ。







雑木林エリアに立ち入ったらば、其処此処から、どるるるる…という旧式ぽいモーター音が響いている。
ちょうど作務の時間であったらしく、作務衣にヘルメットや手拭い姿の若い坊さま方が、草刈り機や電気鋸を手に黙々と林間整備をされていた。


日常の生活そのものが行である、とする禅宗。
その穏やかな端正さ、てとても格好よく美しいと思う。
(密教のお護摩とか、あのドラマティックな非日常感も大好きだけど)
(私は宗教に対しては鑑賞者であり、信者にはなれないのだろうな)


平常心是道。
拝観券(300円也)に大きく毛書で印刷されている。
南泉禅師(中国の高僧)の言葉。
禅宗に於ては、日常のありのままの心…惜しい・欲しい・憎い・かわいい等の煩悩そのままが平常心であり、それに徹して(誠実に向き合う、てことかしら)生活してゆくことが道であり、禅の神髄であるのだって。
なるほどぉ。


感じる、思う、ことは仕方がない。さて其れをどうするか。てことなのかしら。
感情を抑制・なかったことにしていると、結局体を壊すもんな。
生きる、生活する、てなかなかに骨が折れて、だからこそ素敵で尊いのでしょう。
 


よい休日でした。



P2009_0724_141254.JPGP2009_0724_141331.JPG


















総門近くの、樹齢500年の高野槙!
樹木大好きな私としては(最近「フェチ」と称してもよいのではないかと思っている)、「いやーん素敵ぃぃ!」と身悶えしたくなってしまいます。
 


P2009_0724_135427.JPG


















平和観音。
凛々しいぜ。
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(なんだか「食」より「蝕」にロマンを感じでしまうのです)


現在心身共にこもっているもので、日蝕があるらしい、て知ったのがほんの数日前で…
(災害時に逃げ遅れるなきっと)


曇りだから見えないかと思いきや。
昼前、なんだか妙に静かだな、と感じて外を窺ったらば、薄らと日が出ていて。
サングラスを掛けて見たら…
欠けていた。


なんだか、なんつぅか。
太陽が欠けているって、シンプルに、とても、インパクトがありますね。
でもサングラスでの観察は目に負担がかかるらしいので、2秒ほどで目を逸らし。
とりあえず拝んでおきました。(ばあさんか)


ちょっと浮かれて、直接見ないようにして撮影したのだけど…
まぁ、映らんわな。





映画「カストラート」の、主人公(実在したバロック期の、ボーイソプラノを保つために去勢されたオペラ歌手がモデル)が王のお抱えとなり、日蝕で隠れた太陽を呼び戻せと命じられて歌うシーンを思い出した。
不安げな人々の顔が、「天使の歌声」によって徐々に安堵し(こんなに美しいし、王様も言ってるし、大丈夫。てことなのかな)、何事もなかったように光が戻るのだ、たしか。


敬愛するソクーロフの「日陽はしづかに発酵し…」は、はじめ「日蝕の日々」て邦題だったらしく。
たしかに、何処か見えない部分が静かに確実に発酵しているような、蝕まれているような…どうにもたまらん時空間だったなぁ。


今、澁澤龍彦「私のプリニウス」を読んでいるのだけど。
これは…
古代ローマの博物学者プリニウスが、古今東西の文献・思想・噂等を縦横無尽に引用し、また想像し捏造して著した、全三十七巻に及ぶ自然誌辞典「博物誌」。
その奇想・荒唐無稽(…アフリカには頭がなくて胸に目鼻がついている人間がいるとか、インドには耳が全身を覆うほど発達した人間がいるとか)を面白がりながら紹介するエッセイで。
それによると、

太陽が長時間にわたって異常な蝕を起こすこともある。独裁執政官カエサルが殺害されたとき、またアントニウスに対する戦争が勃発したとき、太陽はほとんど一年じゅう薄暗い色をしていた。

のだって。
太陽が欠けるの!?嘘!でもそれじゃあねぇ。て感じなのかしら。
あと、同章の冒頭から引用された文章が面白く。
(引用の又引用をしてるもんで何がなんだか)

…私たちの祖先が空と呼んだものは、また別のことばで空気と呼ばれりものであり、この空間は見たところ空虚で、そこには生気がみなぎっている。ひろく認められている意見によれば、月の下にあって、月からはるかに離れているこの領域は、天上の空気と下界の地球の発散物とを大量に混ぜ合わせていて、この二つの元素の融合によって構成されている。雲や雷鳴や落雷や雹や霧氷や雨や嵐や旋風が生ずるのは、そこからである。人間にとっての不幸の数々や、自然同士の闘争が生ずるのも、そこからである。


宮沢賢治「春と修羅」を思い出した。
序文より…

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白亜期砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません



「この世の成り立ち」は「自分の精神の成り立ち」でもあったり…
面白いなぁ。


などと童心(?)にかえってはしゃいじまい。
高校の頃に見た映画のパンフレットを引っ張り出したり。
詩集をいろいろ斜め読みしたり。
今夜の酒はうまいぜ。
桜の木を描いている。
枝でなく木を描いたことは、そういえばあまりない。


描きながら、根元に自分が埋まっている、と想像する。
肉体も精神も分解されて、土となり養分となり、木の根を支え吸い上げられる。
幹を昇り枝を伝い…
無数の葉となって揺れざわめいてもいいし、枝先の蕾ひとつひとつに宿って空を望んでもいい。


描きながら嗚咽が洩れる。
涙が止まらない。
制作していたら、突然紙がピンク色になって揺れはじめ。
吐き気と嫌な汗を覚えて打ち倒れた。


朦朧とした意識の中で、「不摂生してごめんなさい。休肝日を作ります」と繰り返し何かに詫び…


エアコンつけたらあっさり治りました。



暑くなって参りました。
ビールの美味しい季節ですね。
高校からの友人と、もんじゃつつきつつ飲み語る。


自分は絵が好きである。
描くことは楽しい。
と、改めて。


此処を忘れてはいけないのだ。きっと。
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。

連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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