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玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。  新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。 個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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月のものが来ちまい一回休み。
真顔で料理なんぞしてみる。


(奥から、)
○サラダ
…大根、胡瓜、かにかま、たこわさび、マヨネーズ、柚子胡椒、酢、薄口醤油
普段はいか黄金を使うのだけど、たこわさびで代用。
これもまたよし。
真面目に千切りした方が美味です。
水菜添え。

○白和え
…蒟蒻、薄揚、枝豆、茗荷、木綿豆腐、白胡麻、味噌、味醂
蒟蒻は下茹で、空炒りして酒・薄口。揚は焼いて濃口をまぶす。
「鬼平犯科帳」に出てくる料理を作ってみる、というコンセプトの本に載っていた、揚と蒟蒻の白和えを弄ってみた。
なかなかよろし。

得意料理は小鉢、てことでひとつ。
あと焼売も作ったのだけど、撮影するの忘れちった。


制作しない日は、恐ろしく長い。
絶対5倍くらいあるよ。
貯蓄出来たらいいのに…



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感情が、やって来る。
今まで圧し殺していた、またその存在を認めていなかった負の感情たちが、百鬼夜行のように、列をなしてわらわらとやって来る。


今怒ったって仕方がない。
悔しかったら力を付けて示せばよい。
わかってはいるのだが。


(最近ひとつ、長く自分の中で幅をきかせていた「罪悪感」の原因がわかったからだろうか。
それが自分の落ち度ではなかったことがわかったからだろうか)


ひとつひとつと対峙する。
なかなかに骨がおれる。消耗する。
精魂尽きて倒れ伏し…
ふと視線を先へ遣ると、無垢な裸足が佇んでいる。
「絵」が、其処にいる。



(長いこと、自分には、何処か決定的に致命的に醜い部分があるのだと思っていた。
それが見える人には見えてしまい、不快感を与えてしまうのだと思っていた。
そうではなかった。
過去に於いて、私は化物ではなく、それは相手の心の中にいた。
醜いのでは、という怯え・卑屈さこそが、私の醜さだったのだ。
驚いた)


(今更誰が悪い訳でもない。
悪かったのは諸々の巡り合わせだ。
それらはもう過ぎたこと。過去に、ただあった、というそれだけのことだ。
世の中にはもっともっと大変な人が大勢いる)


(…例えば伝承や書物に於いて、昔、大和朝廷に従わずに山間に移り住んだ(追いやられた?)人々は「土蜘蛛」と呼ばれたり、抵抗勢力の指導者は「鬼」と呼ばれたり…
現在去来するこの感情たちは、私の中の鬼・魍魎でもあるのだろうな。
(そう考えたらちょっと愛しくなってきたぞ)
どうしたらよいのだろう。
私は鬼も魍魎も大好きだから、なんとか仲良くなれないだろうか。
車座で宴会とか出来たらいいのに)


(とりあえず、正直に誠実に対峙しよう。
決して甘い顔はしないことだ。
(昔話とか読むと、ほら)



姿勢を正して、手を伸ばす。
どうか此方に来てください。私のものになってください。一生愛し続けます。
「絵」に、求愛する。


どうかこの絵を仕上げることが出来ますように。
そしてその絵が、穏やかで優しいものでありますように。
こんなんが、現時点での、私にとっての絵の位相。
押入れの奥から扇風機を引き摺り出した。
快適快適。


NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見て感銘を受ける。
カリスマと呼ばれる鮪仲買人。
挫折~努力~試行錯誤を経て現在、活躍されているのだって。
売れ筋やブランドに拘らず、本当に自分が美味しいと思う鮪を買い付ける。
客との信頼関係とか。穫る人・産地に対する敬意とか。
悪い時には妥協せず「意地を張る」…


格好ええのぅ~…
あんな人に、なりてぇです。
「プロフェッショナル」な絵描きになりたい。


(大きなものを動かす為には元手+評価・信頼が必要で…
評価は実力があってこそ。実力は努力があってこそ。信頼は志・意気地があってこそ。
譲れないもの、軸、を確実に定め、それと対峙を続けること。
私としては、それは出来るだけシンプルで、自分のなかから自然に出てきたものであったらよいなぁ)
(時折無駄に熱くなるお年頃)
(あ、タイトルと掛けた訳ではないよ。…てどうでもいいですね)
入浴剤の「汗ばむお肌にひんやりミント スーパークール」てやつを湯槽に投入し、すぐに入浴しました。
どうやら溶け残っていたようで…


現在尻がやたらとクールです。
「猿聟入」で思い出したのだけど。
以前何かで読んだ、「田螺(たにし)息子」て話。


(掻い摘まみ)
信心深い老夫婦が観音さまに「息子を授けてください」と願掛けしたところ、田螺を授かった。
観音さまからの授かり物だからと大切に育てたところ、なかなか有能な田螺で。馬の扱いなんか特に上手で。
噂を聞いた長者の申し出でその娘と結婚し、夫婦仲は良好で…
ある日夫婦は観音詣でに出掛け、田螺はお寺の前で待っていて。
嫁がお参りを終えて出てきたところ、田螺がいない。
さては風に吹かれて田圃に落ちたかと、必死に探すが見つからず…
不意に声を掛けられ振り向くと立派な若者。
「観音さまのご加護でこの姿に」と。
末長く幸せに暮らしましたとさ。


…田螺(涙)
愛されてるのぅ(涙)


服部邦夫「昔話の変容」(国内外に分布するさまざまな昔話をいくつかのパターンに分類して、その成立・伝播・変容してゆく背景を民俗・宗教的な視点を交えて考察するという、読みやすい本です)によると、これは「一寸法師」と同じ「異常誕生話」「小さ子話」に分類されて…
最下層に生まれた者が機知や信仰の力によって逆転して富と幸せを掴む(一寸法師も、その原型ではなかなか狡猾な手口で聟の座を獲得していたり)、という、庶民の生活苦の中での夢想であるとか。
また、以前どこかで読んだのだけど、不幸な事情で早産、また新生児のうちに死亡してしまった我が子を小さ子に投影して、その元気に活躍する様に夢を見たのではないか、とか。


しかし。
田螺と老夫婦の団欒とか、田螺と馬の交流とか、田圃で田螺を探す嫁とか…
想像すると涙が込み上げるよ。
こう、絵面として。


(例えば、「猿聟入」の猿は、余所者・異界の存在で。
(情報網が発達していない時代には、自分達が住む村・集落こそが世界のすべて…=自分達のルールが通用する限界=自分の安全がひとまず保証されたエリア… で。外界の存在は、自分の生存を脅かす危険のあるもの=敵・悪・人に非ず、でもあったのだろうな)
田螺は、観音さまの許可を得た受け入れるべき存在で。
異質な存在を卑と見なすか聖と見なすか。こうした構図は様々な場面にあるのではないかしら。
…はまぁ置いといて)


ただ物語として見た場合…
田螺がそのまま見付からなくて、嫁がその後寡婦として生涯を送ったとしたら、それってすげぇエロだよな、とか。
また、現れた若者が実は財産目当ての偽物で、田螺は嫁を恋いつつ一田螺として生涯を送ったとしたら、それってすげぇ悲しくてちょっとエロだよな、とか。


いい年して自分の妄想逞しさを時折もてあましつつ。
このとこ昔話が熱いのです。
あと、神や化物の所在に興味津々。
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。

連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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