玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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とにかくとにかく、「普通に元気」を頑張ろう。
衝撃、不安、混乱、衝撃、動揺、不安…
どうにもこうにも心の休まらない日々です。
埼玉県の片隅に生息しておる私は、震災の直接の被害は受けず、家族・友人・親戚もどうやら皆無事で。
(このことを「幸せなことに」と言おうとするとなんだか胸に鉛の塊が生じるような心地がして、…被災地のことを思うと一言では、というか到底言葉には出来ないわけで…しかし無事であったのは大変にありがたいことであるわけで、)
きっと、無事であった私たちは今こそ「普通に元気」でいるべきなのですよね。
無理せず全力で、自分の日常を営むこと。
出来る範囲で節電と募金と、経済活動をすること。
「普通」てぇのはすごいです。
「普通で真っ当」でいるためには、覚悟と努力が不可欠なわけで。
(以前テレビ番組で、「20年間変わらない味のラーメン屋」の店主が、「日々より良い味を求めて努力し向上し続けることでやっと、お客さんに「変わらないね」と言ってもらえる」てなニュアンスのことを言っていたっけかなるほど!)
個人差はあれど、だいたい三十路に踏み入れたらば、「元気」でいるためにはそれなりの備えが必要ですしね。
現在の状況について…一体何がどれくらいどうなっていてそれはどのくらいどういうことで、これから何をどのくらいどうしたらよいものか…
混乱しちまいますが。
錯綜する情報の中から何をどのくらいどう受けとるか、には、個々人の意志が必要なわけで。
(錯綜するだけの情報がある、てきっと健全なことですよね)
情報を選ぶ意思を持つためにはやはり、元気が必要なわけで。
なんだかね。
いろいろ混乱して戸惑っちまいますが、
「私たちはこれからも生きて行く」
てぇことは、揺るぎなく変わらんわけだしね。
現在感じている「戸惑い」に大切に対峙して、「どうしたらより良いか」(より元気になれるか、プラスの方向へ進めるか)を一歩ずつ探るのがよろしいのかしらと。
(戸惑える(=選択肢がある)のはきっと健全で幸せなことで)
普通、真っ当、出来ること、出来る範囲、…人それぞれに違いますしね。
うんうん。頑張ろう。普通に頑張ろう。
ここのとこのこと。
煩わしいこと。
ついに今年、めでたく花粉症デビューをしちまったよぅ。
何ですかこれは。
目元が異様に痒いのですが鼻奥の粘膜が痛むのですが目鼻がカピカピなのですが。
何かの罰ゲームですかまったく。
去年までの私は気楽で幸せであったことであるなぁ。
しかし今時分、マスクを着けている方が大層多いのですね。
(このことに気付きもしなかったよ)
見掛ける度に、「私だけじゃないぜ」とマスクの下でにやけておるです。
嬉しかったこと。
人生初ガチャポンでなめこ。
ドンキホーテの片隅でふと目に付いて衝動買いをしてしまったよ。
きのこストラップ。
全八種、松茸やマッシュルーム、毒きのこなど可愛らしいフォルムのものたちの中で、これだけが地味に微妙にキモチワルくて…
「なめこがいいなぁ」と思いつつレバーを回したらば、当たったのですようふふふ。
触感も、妙に柔らかくてぺとっとしてて、微妙にキモチワルイのですようふふふふ。
指先でつつき回すと、半端にプルプルして微妙にキモチイイのです。
(部屋の隅で一人、体育座りでなめこと戯れる私)
(そんなこんなで、私は相変わらず地味にそれなりに生息しておるです)
衝撃、不安、混乱、衝撃、動揺、不安…
どうにもこうにも心の休まらない日々です。
埼玉県の片隅に生息しておる私は、震災の直接の被害は受けず、家族・友人・親戚もどうやら皆無事で。
(このことを「幸せなことに」と言おうとするとなんだか胸に鉛の塊が生じるような心地がして、…被災地のことを思うと一言では、というか到底言葉には出来ないわけで…しかし無事であったのは大変にありがたいことであるわけで、)
きっと、無事であった私たちは今こそ「普通に元気」でいるべきなのですよね。
無理せず全力で、自分の日常を営むこと。
出来る範囲で節電と募金と、経済活動をすること。
「普通」てぇのはすごいです。
「普通で真っ当」でいるためには、覚悟と努力が不可欠なわけで。
(以前テレビ番組で、「20年間変わらない味のラーメン屋」の店主が、「日々より良い味を求めて努力し向上し続けることでやっと、お客さんに「変わらないね」と言ってもらえる」てなニュアンスのことを言っていたっけかなるほど!)
個人差はあれど、だいたい三十路に踏み入れたらば、「元気」でいるためにはそれなりの備えが必要ですしね。
現在の状況について…一体何がどれくらいどうなっていてそれはどのくらいどういうことで、これから何をどのくらいどうしたらよいものか…
混乱しちまいますが。
錯綜する情報の中から何をどのくらいどう受けとるか、には、個々人の意志が必要なわけで。
(錯綜するだけの情報がある、てきっと健全なことですよね)
情報を選ぶ意思を持つためにはやはり、元気が必要なわけで。
なんだかね。
いろいろ混乱して戸惑っちまいますが、
「私たちはこれからも生きて行く」
てぇことは、揺るぎなく変わらんわけだしね。
現在感じている「戸惑い」に大切に対峙して、「どうしたらより良いか」(より元気になれるか、プラスの方向へ進めるか)を一歩ずつ探るのがよろしいのかしらと。
(戸惑える(=選択肢がある)のはきっと健全で幸せなことで)
普通、真っ当、出来ること、出来る範囲、…人それぞれに違いますしね。
うんうん。頑張ろう。普通に頑張ろう。
ここのとこのこと。
煩わしいこと。
ついに今年、めでたく花粉症デビューをしちまったよぅ。
何ですかこれは。
目元が異様に痒いのですが鼻奥の粘膜が痛むのですが目鼻がカピカピなのですが。
何かの罰ゲームですかまったく。
去年までの私は気楽で幸せであったことであるなぁ。
しかし今時分、マスクを着けている方が大層多いのですね。
(このことに気付きもしなかったよ)
見掛ける度に、「私だけじゃないぜ」とマスクの下でにやけておるです。
嬉しかったこと。
人生初ガチャポンでなめこ。
ドンキホーテの片隅でふと目に付いて衝動買いをしてしまったよ。
きのこストラップ。
全八種、松茸やマッシュルーム、毒きのこなど可愛らしいフォルムのものたちの中で、これだけが地味に微妙にキモチワルくて…
「なめこがいいなぁ」と思いつつレバーを回したらば、当たったのですようふふふ。
触感も、妙に柔らかくてぺとっとしてて、微妙にキモチワルイのですようふふふふ。
指先でつつき回すと、半端にプルプルして微妙にキモチイイのです。
(部屋の隅で一人、体育座りでなめこと戯れる私)
(そんなこんなで、私は相変わらず地味にそれなりに生息しておるです)
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やぁぁぁ昨日はすげかったですね地震。
やぁぁぁ肝が冷えました。
地震発生時は、埼玉県の端っこの自宅に居り。
日頃は震度2~3くらいなら気付かないことの方が多い私なのですが、さすがにたまげたですよ。
とりあえずガスの元栓を閉めてテーブル下に潜りテレビの電源を入れ。
報道特番に「ひぇぇ」とびびりながら、揺れの治まる隙に、大きな鞄に貴重品を放り込み、絵を可能なだけ一纏めにして外側に未使用の50号パネルを立て掛け、両親との連絡を試みつつ…
やぁ、災害時には電話が通じなくなる、て本当なのですね。
不安になっちゃうね。
日頃テレビを殆ど観ないし必要ないのでは?と思っていたのだけれど、こんな時には便利なものですね。
あと、twitterとmixiに一応アカウントを持っているのだけれどろくに使っていなかったのだけれども、こんな時にはなんだかとても心強いものなのですね。
(情報を受け取れるということ。人と声を掛け合えるということ。同じ時間に生きている人の気配を感じられるということ。
「コミュニケーション」てぇのは人が生きて行く上で不可欠なものであるのだなぁと、改めて感じ入り)
幸い両親も全く無事で、家でも本が数冊と幾らかの軽いものが落下したくらいで、停電もなく。
しかし、東北地方ではまだまだ被害が続いているのですね。
なむなむなむ。
一人でも多くの方が一分でも早く、安心することができますように。
なむなむなむ。
しかし昨日は動揺しちまい終日不安で。
貴重品等を集めた鞄やコートを枕元に置いて寝たでした。
あと、「これだけは持って逃げよう」と、10号のパネルを三枚(最近仕上がった絵二点と、新しく紙を張ったもの)梱包。
こんな時に纏めるもの、て、大切に思っているものなのかしら。
または、咄嗟の安心アイテムなのかしら。
今鞄を見直すと、貴重品+携帯に電池式充電器、コンタクトケース、目薬、ペンとインクと制作用手袋が入っていて…
(パンツも入っておらんのに)
(昼寝中に地震に遭って枕抱いて逃げちゃう感じか?)
持ち出し袋を用意しておくべきだよなぁ。
(でも鞄に酒瓶が入っていなくて少しほっとした私)
(でも、酒かパンツだったら酒かも…)
とにかくとにかく。
一人でも多くの方が一分でも早く、安心することができますように。
なむなむなむなむ(祈)
やぁぁぁ肝が冷えました。
地震発生時は、埼玉県の端っこの自宅に居り。
日頃は震度2~3くらいなら気付かないことの方が多い私なのですが、さすがにたまげたですよ。
とりあえずガスの元栓を閉めてテーブル下に潜りテレビの電源を入れ。
報道特番に「ひぇぇ」とびびりながら、揺れの治まる隙に、大きな鞄に貴重品を放り込み、絵を可能なだけ一纏めにして外側に未使用の50号パネルを立て掛け、両親との連絡を試みつつ…
やぁ、災害時には電話が通じなくなる、て本当なのですね。
不安になっちゃうね。
日頃テレビを殆ど観ないし必要ないのでは?と思っていたのだけれど、こんな時には便利なものですね。
あと、twitterとmixiに一応アカウントを持っているのだけれどろくに使っていなかったのだけれども、こんな時にはなんだかとても心強いものなのですね。
(情報を受け取れるということ。人と声を掛け合えるということ。同じ時間に生きている人の気配を感じられるということ。
「コミュニケーション」てぇのは人が生きて行く上で不可欠なものであるのだなぁと、改めて感じ入り)
幸い両親も全く無事で、家でも本が数冊と幾らかの軽いものが落下したくらいで、停電もなく。
しかし、東北地方ではまだまだ被害が続いているのですね。
なむなむなむ。
一人でも多くの方が一分でも早く、安心することができますように。
なむなむなむ。
しかし昨日は動揺しちまい終日不安で。
貴重品等を集めた鞄やコートを枕元に置いて寝たでした。
あと、「これだけは持って逃げよう」と、10号のパネルを三枚(最近仕上がった絵二点と、新しく紙を張ったもの)梱包。
こんな時に纏めるもの、て、大切に思っているものなのかしら。
または、咄嗟の安心アイテムなのかしら。
今鞄を見直すと、貴重品+携帯に電池式充電器、コンタクトケース、目薬、ペンとインクと制作用手袋が入っていて…
(パンツも入っておらんのに)
(昼寝中に地震に遭って枕抱いて逃げちゃう感じか?)
持ち出し袋を用意しておくべきだよなぁ。
(でも鞄に酒瓶が入っていなくて少しほっとした私)
(でも、酒かパンツだったら酒かも…)
とにかくとにかく。
一人でも多くの方が一分でも早く、安心することができますように。
なむなむなむなむ(祈)
夢を見た。
私は透明な球体で、指先から頭くらいの大きさに絶えず繰り返し伸縮ながら、楓の木の周りを浮遊している。
梢の先で跳ね、枝枝の間を縫い潜り、幹を辿って転がりまた頬擦りをする。
時には数メートル離れて姿を見、すぐに戻って幹の窪みに鼻先(?つぅか全身?)を埋め、また梢を跳ね回り…
私の全身は心臓そのもののように脈動し、透明な血液が駆け巡る。
嬉しくて、楽しくて、愛しくて、たまらない。
ここ二日、制作で上がりきったテンションが戻らず、うまく眠れず朦朧と闇雲に動き回っていた。
やっとどぉにか落ち着いてきて、鈍っていた痛覚も戻り、そこここがやたらと痛んでいることに驚く。
熱も出た。
少しずつ眠れるようになってきたらば、夢を見た。
「線」以外のはっきりとした夢を見るのは久し振りである。
ここ二ヶ月ほど、たぶん毎晩、「線」の夢を見た。
ペン画制作時には、脳内にモチーフの立体模型を建てる心積もりでいて…
床に就いて目を閉じ意識が覚醒状態から離れると、決まって「線」が現れる。
透明な楓の模型の上を、線分が移動する。
それらはちょうど、私が制作時に引くものと同じくらいの長さと細さで。
雲が湧いては流れゆく様を写した早回しの画像のように、無数に出現し移動し組み合いほどけまた組み合い、線画を構成する。
ある程度の画面が出来上がると崩れ落ち、また違うニュアンスのパターンを構成する。
それがだいたい、二時間から四時間ほど、続く。
(この状態の時は意識の一部が覚醒していて、現実の音が聞こえるのです)
制作が進んでくると、まずその時点で描いてあるところまでの線が現れて固定され、その先のパターンの試作が始まる。
時折視点が移動して角度を変えたり、重点的に描き込むべき部分が拡大されたり、もっと観察が必要な部分が示されたり…
一通りの構成が示されると、線たちは動くのをやめ、ゆっくりと溶け…
そこに曖昧で頼りない有象無象のイメージたちが入り込んできて、私の意識も溶ける。
たぶんここからが本当の睡眠だったのだろう。
そして「そろそろ目が覚めるな」と感じた瞬間、構成されたパターンたちがダイジェストで強烈に現れて、真っ白に消し飛んだ瞬間、目が開くのだ。
私の無意識の中に構成担当の人が居て、私自身はそのイメージを下請けして形にする労働者であるような、心地がするのです。
制作中は、常に構成者に胸倉掴まれて「早く描かんかこらぁぁ!!」と揺さぶられているようで…
構成夢は全力の集中を強いられるし、日に日に緻密になるし、自分の限界の先を抉じ開けられ続けているようで。
目覚めると大概全身が緊張していて、息が乱れて動悸がしていることもあり、毎晩六時間から時には十時間ほども床に就いているのに体力が目減りするのを感じた。
やぁぁ。
仕上がってよかったよかった。
昨夜の夢は、愉快であった。
楓は、線画でなく、緻密な立体模型…本物のようだった。
そうか。仕上がったんだな。
もうこの楓の夢を見ることはないのだな。
気付いたら、体の奥からなんともいえない感情が膨れ上がり、私はぱちんと弾けた。
真っ白な視界に幽かな血の飛沫が散った。
目を開けて、「終わったのだなぁ」と思い、少し泣いた。
私は透明な球体で、指先から頭くらいの大きさに絶えず繰り返し伸縮ながら、楓の木の周りを浮遊している。
梢の先で跳ね、枝枝の間を縫い潜り、幹を辿って転がりまた頬擦りをする。
時には数メートル離れて姿を見、すぐに戻って幹の窪みに鼻先(?つぅか全身?)を埋め、また梢を跳ね回り…
私の全身は心臓そのもののように脈動し、透明な血液が駆け巡る。
嬉しくて、楽しくて、愛しくて、たまらない。
ここ二日、制作で上がりきったテンションが戻らず、うまく眠れず朦朧と闇雲に動き回っていた。
やっとどぉにか落ち着いてきて、鈍っていた痛覚も戻り、そこここがやたらと痛んでいることに驚く。
熱も出た。
少しずつ眠れるようになってきたらば、夢を見た。
「線」以外のはっきりとした夢を見るのは久し振りである。
ここ二ヶ月ほど、たぶん毎晩、「線」の夢を見た。
ペン画制作時には、脳内にモチーフの立体模型を建てる心積もりでいて…
床に就いて目を閉じ意識が覚醒状態から離れると、決まって「線」が現れる。
透明な楓の模型の上を、線分が移動する。
それらはちょうど、私が制作時に引くものと同じくらいの長さと細さで。
雲が湧いては流れゆく様を写した早回しの画像のように、無数に出現し移動し組み合いほどけまた組み合い、線画を構成する。
ある程度の画面が出来上がると崩れ落ち、また違うニュアンスのパターンを構成する。
それがだいたい、二時間から四時間ほど、続く。
(この状態の時は意識の一部が覚醒していて、現実の音が聞こえるのです)
制作が進んでくると、まずその時点で描いてあるところまでの線が現れて固定され、その先のパターンの試作が始まる。
時折視点が移動して角度を変えたり、重点的に描き込むべき部分が拡大されたり、もっと観察が必要な部分が示されたり…
一通りの構成が示されると、線たちは動くのをやめ、ゆっくりと溶け…
そこに曖昧で頼りない有象無象のイメージたちが入り込んできて、私の意識も溶ける。
たぶんここからが本当の睡眠だったのだろう。
そして「そろそろ目が覚めるな」と感じた瞬間、構成されたパターンたちがダイジェストで強烈に現れて、真っ白に消し飛んだ瞬間、目が開くのだ。
私の無意識の中に構成担当の人が居て、私自身はそのイメージを下請けして形にする労働者であるような、心地がするのです。
制作中は、常に構成者に胸倉掴まれて「早く描かんかこらぁぁ!!」と揺さぶられているようで…
構成夢は全力の集中を強いられるし、日に日に緻密になるし、自分の限界の先を抉じ開けられ続けているようで。
目覚めると大概全身が緊張していて、息が乱れて動悸がしていることもあり、毎晩六時間から時には十時間ほども床に就いているのに体力が目減りするのを感じた。
やぁぁ。
仕上がってよかったよかった。
昨夜の夢は、愉快であった。
楓は、線画でなく、緻密な立体模型…本物のようだった。
そうか。仕上がったんだな。
もうこの楓の夢を見ることはないのだな。
気付いたら、体の奥からなんともいえない感情が膨れ上がり、私はぱちんと弾けた。
真っ白な視界に幽かな血の飛沫が散った。
目を開けて、「終わったのだなぁ」と思い、少し泣いた。
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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