玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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参加してまいりました。
今年で3回目。
御輿を担ぎ、酒を飲み、怒濤に揉まれ、酒を飲み…
がッつりとリフレッシュしてまいりました。
8月2日、八王子祭二日目の朝。
千貫御輿を多賀大社から引き出して御神体を入れ、町々を引き回した後、甲州街道沿いの御仮家におさめる。
正装の神主さんの祝詞を聞き、手を打ち、御神酒をなみなみいただいて…
実に素敵な心持ちとなって、私にとっての祭が始まった。
昼過ぎから山車、続いて町々の御輿。
この日は町内をゆっくりじっくりと巡る。
古くは、自力でお参りすることの出来ない事情のある人々の許へ、神様にお越しいただくという意味もあったらしい。
3日は、昼過ぎから千貫御輿。
その後山車と、町々の御輿。
この日は甲州街道をゆく。
街道沿いに集まった人々の、熱気。
その中心の、一際激しい、熱・力の塊のような千貫御輿。
区画毎に担ぎ手・警備等の受け持ちが決まっていて…
担ぎ手は後方から入って前方に抜けるのを繰り返し…
なんつぅか、素晴らしく激しく、統制の見事なリレーだなと思った。
例えば、伊勢神宮を20年毎に建て直すのは、宮大工の技術を継承する目的もあるそうで…
祭、てのは実に素晴らしいリレー・継承・代謝の装置であるのかも知れない。
実際、千貫御輿を担ぐと、なにか途方も無く大きないきものに飲まれ咀嚼消化されまた吐き出されるような…
なにかのひと区切りが付いたような、簡易式に生まれ変わったような、そんな気持ちになるのだ。
千貫御輿の通ったあとを往き交う山車は、とても幻想的である。
「いーち、にーの、やーーーい」という掛け声のもと、子供たちが中心に綱を引き、山車の上ではお囃子が奏され、獅子・狐・ひょっとこ等が舞い…
御輿によって大きく掃き清められて境界のない空間が出現し、そこを、この世に於いて力の弱いものや異形のものたちが往くような、そんな光景にも見える。
獅子や狐たちは時に神の使いであったり、しばしばこの世とあの世・異界を繋ぐ、境界を跨ぐ、そんな存在であるようにも思える。
子供は、肉体の力は弱いが生命力が強く、まさに境界を往くのにふさわしい存在だろう。
「祭」という大鍋に、すべてのものが放り込まれ、別け隔てなく公平にぐつぐつと煮られて消毒されるのだ。きっと。
今年も、平岡町の方々に暖かく迎えていただき、お世話になった。
(皆さんフレンドリーでありながら踏み込まない、独特の距離感を保つのがとても巧くて、毎年感心する。 これもまた祭の空間・磁場なのだろう)
一年振りにお会いすると、子供たちは初夏の植物のようにぐいっと育ち…
大人の方々は、結婚されたり離婚されたり出産されたり…
一年てぇのは短いようで長いものだなと、たくさんのことが起こり得るものだなと、改めて思う。
帰り掛けにご挨拶すると、御輿を先導する立場の方が、
「ありがとうございました。祭の力は人の力なので、また来年もよろしく」
と、そんなニュアンスの言葉を下さった。
時間は流れ、ものごとは移ろい入れ代わり、それでも核の部分は受け継がれ…
進んでゆくのだな。
大切なのはやはり、力・意志であるのだろう。
私自身、ちょうど今、得るもの失うもの求めるべきもの手放すべきものが、交差する時期のようである。
怖れず進もう。
また一年頑張ろう。
(追記。もうひとつ思ったこと。
祭装束が褌の方もたくさん居て、今年もあらゆる年代の男尻を見る機会があり…
尻はやはり、若いほどに綺麗であることだなぁ)
今年で3回目。
御輿を担ぎ、酒を飲み、怒濤に揉まれ、酒を飲み…
がッつりとリフレッシュしてまいりました。
8月2日、八王子祭二日目の朝。
千貫御輿を多賀大社から引き出して御神体を入れ、町々を引き回した後、甲州街道沿いの御仮家におさめる。
正装の神主さんの祝詞を聞き、手を打ち、御神酒をなみなみいただいて…
実に素敵な心持ちとなって、私にとっての祭が始まった。
昼過ぎから山車、続いて町々の御輿。
この日は町内をゆっくりじっくりと巡る。
古くは、自力でお参りすることの出来ない事情のある人々の許へ、神様にお越しいただくという意味もあったらしい。
3日は、昼過ぎから千貫御輿。
その後山車と、町々の御輿。
この日は甲州街道をゆく。
街道沿いに集まった人々の、熱気。
その中心の、一際激しい、熱・力の塊のような千貫御輿。
区画毎に担ぎ手・警備等の受け持ちが決まっていて…
担ぎ手は後方から入って前方に抜けるのを繰り返し…
なんつぅか、素晴らしく激しく、統制の見事なリレーだなと思った。
例えば、伊勢神宮を20年毎に建て直すのは、宮大工の技術を継承する目的もあるそうで…
祭、てのは実に素晴らしいリレー・継承・代謝の装置であるのかも知れない。
実際、千貫御輿を担ぐと、なにか途方も無く大きないきものに飲まれ咀嚼消化されまた吐き出されるような…
なにかのひと区切りが付いたような、簡易式に生まれ変わったような、そんな気持ちになるのだ。
千貫御輿の通ったあとを往き交う山車は、とても幻想的である。
「いーち、にーの、やーーーい」という掛け声のもと、子供たちが中心に綱を引き、山車の上ではお囃子が奏され、獅子・狐・ひょっとこ等が舞い…
御輿によって大きく掃き清められて境界のない空間が出現し、そこを、この世に於いて力の弱いものや異形のものたちが往くような、そんな光景にも見える。
獅子や狐たちは時に神の使いであったり、しばしばこの世とあの世・異界を繋ぐ、境界を跨ぐ、そんな存在であるようにも思える。
子供は、肉体の力は弱いが生命力が強く、まさに境界を往くのにふさわしい存在だろう。
「祭」という大鍋に、すべてのものが放り込まれ、別け隔てなく公平にぐつぐつと煮られて消毒されるのだ。きっと。
今年も、平岡町の方々に暖かく迎えていただき、お世話になった。
(皆さんフレンドリーでありながら踏み込まない、独特の距離感を保つのがとても巧くて、毎年感心する。 これもまた祭の空間・磁場なのだろう)
一年振りにお会いすると、子供たちは初夏の植物のようにぐいっと育ち…
大人の方々は、結婚されたり離婚されたり出産されたり…
一年てぇのは短いようで長いものだなと、たくさんのことが起こり得るものだなと、改めて思う。
帰り掛けにご挨拶すると、御輿を先導する立場の方が、
「ありがとうございました。祭の力は人の力なので、また来年もよろしく」
と、そんなニュアンスの言葉を下さった。
時間は流れ、ものごとは移ろい入れ代わり、それでも核の部分は受け継がれ…
進んでゆくのだな。
大切なのはやはり、力・意志であるのだろう。
私自身、ちょうど今、得るもの失うもの求めるべきもの手放すべきものが、交差する時期のようである。
怖れず進もう。
また一年頑張ろう。
(追記。もうひとつ思ったこと。
祭装束が褌の方もたくさん居て、今年もあらゆる年代の男尻を見る機会があり…
尻はやはり、若いほどに綺麗であることだなぁ)
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プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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