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「誰か」と話していた。
先日とはまた違う「誰か」である。
「やっと銅版画が見えてきたから、あと1年ほど、コツコツとつくり貯める。そして私の作品をじっくり落ち着いて見てもえらえる展示をする」
と、一生懸命に語っていた。
「誰か」はそれは「大変にいい」と笑い、人の世とはしんどいものだ仕方ない、といったニュアンスのことを言った。
私は「私」のままであった。
少しずつ、夜眠れるようになってきている。
背骨の軋むような痛みも、あまり感じない。
自分は果てしなく無益である、という発作のような実感も、やってこなくなった…かな。
私は回復しつつある。
いつの間にか私は「誰か」になり、たぶん「私」と話していた。
「私」は「絵本を描きたい」と言い、「誰か」は驚いた。
その瞬間、「誰か」と「私」は曖昧になった。
目が不調である。
ピント調節がうまくいかんため、歩くと目が回る。
(鳩が歩行時に首を振るのは、眼球を動かせないため、首を動かしてピントを調節するのだそうだ。
ならば私も首振ればいいのか!?
…言ったら、友人に「人の首と鳩の首は造りが違うから絶対にやめろ」言われた。
ごもっともです……)
光量調節も甘いらしく、たまに眩しくてたまらない。
製作・鑑賞・読書が出来ない。
因って、構想を練ることも出来ない。
少し休め、ということだろうか。
視界がぼやけていると、頭のなかもぼやけるものだ。
とりあえず短期バイトに精を出す。
責任がごく軽く、頭脳もいらない単純作業なので、ぼやけていてもどうにかなる。
神経を使わないと、酒もそれほど必要ないものだなぁ。
自分が起きているのか、生きているのか、よくわからない。
いまはまだ休むべきではない。
この不調は心身の疲労が原因なので…
今下手に体を休めると、制作時の高揚の反動で、鬱状態が来てしまう。
もう少し体を疲れさせ、心身共に休めよう。
大丈夫。私は丈夫だから保つに決まっている。
山に行きたいな。
山に入りたい。
人里は痛くて仕方ない。
「蛙に目ぇとられた」と騒いでいたら、教えていただいたお話。
琵琶湖北の木之本神社に棲む蛙は、その昔、お地蔵さまに頼まれて、目を病んだ旅人に片目を提供したそうな。
今でも木之本地蔵院の庭には、片目の蛙が棲んでいるとかいないとか。
蛙……………(涙)
目借り蛙に目借られ蛙。
早く返ってきますように。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com