玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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我が心の師であり目標である、北斎の墓を訪ねた。
台東区元浅草・誓教寺。
浅草通りを少し脇に入った処にある、こぢんまりとした浄土宗のお寺。
境内の片隅にブロンズの北斎胸像があり(富士を向いているらしい)、その奥の中・高の教室くらいの広さの墓地に、「画狂老人卍」と大書された墓石があった。
有名人の墓参をするのはこれが初めてである。
今までは少し抵抗があった。
人間死ねばそれで終わり、墓は遺族のものであって…
絵描きの魂は作品にこそ残るわけで…
そう思っていたのだが、最近、こちらのサイトに出会って考えが改まり。
http://kajipon.sakura.ne.jp/index.htm
(管理人氏の芸術に対するスタンスに激しく共感。熱くて愉快で、ファンなのです)
…優れた作品を残した人は人類の恩人であるからお礼を言いに行く。
実際に辿り着いて墓と対峙し脳内のその作家と対話すると、新しく見えてくるものがある。
と。なるほどなと。
試しに「脳内北斎」を生成し話し掛けてみる。
「師匠、描けません」
「俺に言うな馬鹿」
…とりあえず出掛けてみることにした。
(数日前、母と口論になり動揺してしまい。
思うように回復しない自分がもどかしかったり。家族にも負担だよなとか。自分はなんてしんどい人間なんだとか)
ぐるぐるともんどりうつよな心持ちで対面したブロンズ像は、イメージよりも柔和な顔をしていた。
(平成2年に、北斎生誕230年を記念して、自画像を元に作られたとか。作者の方は完成後ほどなく亡くなられたらしい)
そうだ。北斎も当然人間であって。
作品から伝わって来るのは北斎の魂、辞世の句
ひと魂で ゆく気散じや 夏の原
の、言わば肉体を脱ぎ捨てた絵描き魂そのものであって…
墓前にて帽子を脱ぎ正座をしたら、自然に言葉が出た。
絵を描けなくて辛いんです。
ただ涙が流れた。
空には雲が流れ、蝉が鳴いていた。
「脳内北斎」は、少し困ったように柔和に微笑んでいた。
魂ばかりを求めて肉体を疎かにするから、よろしくないのだ、きっと。
帽子を目深に被って時折涙を流しつつ、浅草通りを歩いた。
浅草へ。
週末ということもあり、雷門はたいへんに賑わっていた。
参道を抜けて観音様にご挨拶。
おみくじを引いたら、なんと吉。
浅草寺で凶以外を引くのは初めてであるので、なんだか感動した。
(意地になってというか怖いもの見たさというか、来る度に引くのだが、今まで7回凶が続いていた)
(嬉しいような、なんか寂しいような)
境内とその周辺をうろつき(散策・参拝・昼酒が、私の娯楽の形である)、
伝法院横丁を脇に入った飲み屋通り、外れの一軒に入り、薄く暮れはじめた通りと並んだ赤提灯やら行き交う人々やらを眺めながら煮込みつついてホッピーを飲み。
ぼんやりうっとりしていたらば、隣のテーブルのご夫婦が話し掛けてくださり。
席に混ぜていただいてしまい。
深川生まれ深川育ちの実にチャキチャキと素敵な方たちで、鬼平ファン(文庫で全巻持っており、吉右衛門は中学時代からのアイドルであり)の私としては、実に興奮する場面で。
今度深川をご教示いただけることとなり。
その後蕎麦までご馳走になってしまった。
実にスペシャルな体験であった。
折れそうになると、素敵なことが起こるものだなぁ。
やけに酒が回り、へろへろと帰宅。
口論以降微妙に漂う緊張感の中、パンダかぶりを装着して一喝。
「泥酔パンダ!」
父に優しい眼差しで頷かれ、母に「たまにパンダになるとよい」と言われた。
(笑いを取るのは難しい)
私に足りないのはパンダであったのか。
ふと、自分の墓のことを考える。
私は新しく家族を作るつもりがないし、今歩いている道の先に穏やかで幸せな老後が待っているとは思えないし…
今までなんとなく、野垂れ死に・無縁仏で上等、とか思っていたのであるが…
(五木の子守歌の「水は天からもらい水」とか、なかなかロマンティックではないかしら)
しかし今の世の中でその死に様は、物凄く迷惑かも知れないと最近気付き。
(投げ込み塚とかないもんね!)
まぁたぶん、死ぬまでにはまだだいぶ時間があるし。
寿命が近づいたらきっと、納得のいく場所が見えるのだろう。
(適正距離を測るのが下手だから、きっと私はしばしば人を不快にさせてしまうのだな)
台東区元浅草・誓教寺。
浅草通りを少し脇に入った処にある、こぢんまりとした浄土宗のお寺。
境内の片隅にブロンズの北斎胸像があり(富士を向いているらしい)、その奥の中・高の教室くらいの広さの墓地に、「画狂老人卍」と大書された墓石があった。
有名人の墓参をするのはこれが初めてである。
今までは少し抵抗があった。
人間死ねばそれで終わり、墓は遺族のものであって…
絵描きの魂は作品にこそ残るわけで…
そう思っていたのだが、最近、こちらのサイトに出会って考えが改まり。
http://kajipon.sakura.ne.jp/index.htm
(管理人氏の芸術に対するスタンスに激しく共感。熱くて愉快で、ファンなのです)
…優れた作品を残した人は人類の恩人であるからお礼を言いに行く。
実際に辿り着いて墓と対峙し脳内のその作家と対話すると、新しく見えてくるものがある。
と。なるほどなと。
試しに「脳内北斎」を生成し話し掛けてみる。
「師匠、描けません」
「俺に言うな馬鹿」
…とりあえず出掛けてみることにした。
(数日前、母と口論になり動揺してしまい。
思うように回復しない自分がもどかしかったり。家族にも負担だよなとか。自分はなんてしんどい人間なんだとか)
ぐるぐるともんどりうつよな心持ちで対面したブロンズ像は、イメージよりも柔和な顔をしていた。
(平成2年に、北斎生誕230年を記念して、自画像を元に作られたとか。作者の方は完成後ほどなく亡くなられたらしい)
そうだ。北斎も当然人間であって。
作品から伝わって来るのは北斎の魂、辞世の句
ひと魂で ゆく気散じや 夏の原
の、言わば肉体を脱ぎ捨てた絵描き魂そのものであって…
墓前にて帽子を脱ぎ正座をしたら、自然に言葉が出た。
絵を描けなくて辛いんです。
ただ涙が流れた。
空には雲が流れ、蝉が鳴いていた。
「脳内北斎」は、少し困ったように柔和に微笑んでいた。
魂ばかりを求めて肉体を疎かにするから、よろしくないのだ、きっと。
帽子を目深に被って時折涙を流しつつ、浅草通りを歩いた。
浅草へ。
週末ということもあり、雷門はたいへんに賑わっていた。
参道を抜けて観音様にご挨拶。
おみくじを引いたら、なんと吉。
浅草寺で凶以外を引くのは初めてであるので、なんだか感動した。
(意地になってというか怖いもの見たさというか、来る度に引くのだが、今まで7回凶が続いていた)
(嬉しいような、なんか寂しいような)
境内とその周辺をうろつき(散策・参拝・昼酒が、私の娯楽の形である)、
伝法院横丁を脇に入った飲み屋通り、外れの一軒に入り、薄く暮れはじめた通りと並んだ赤提灯やら行き交う人々やらを眺めながら煮込みつついてホッピーを飲み。
ぼんやりうっとりしていたらば、隣のテーブルのご夫婦が話し掛けてくださり。
席に混ぜていただいてしまい。
深川生まれ深川育ちの実にチャキチャキと素敵な方たちで、鬼平ファン(文庫で全巻持っており、吉右衛門は中学時代からのアイドルであり)の私としては、実に興奮する場面で。
今度深川をご教示いただけることとなり。
その後蕎麦までご馳走になってしまった。
実にスペシャルな体験であった。
折れそうになると、素敵なことが起こるものだなぁ。
やけに酒が回り、へろへろと帰宅。
口論以降微妙に漂う緊張感の中、パンダかぶりを装着して一喝。
「泥酔パンダ!」
父に優しい眼差しで頷かれ、母に「たまにパンダになるとよい」と言われた。
(笑いを取るのは難しい)
私に足りないのはパンダであったのか。
ふと、自分の墓のことを考える。
私は新しく家族を作るつもりがないし、今歩いている道の先に穏やかで幸せな老後が待っているとは思えないし…
今までなんとなく、野垂れ死に・無縁仏で上等、とか思っていたのであるが…
(五木の子守歌の「水は天からもらい水」とか、なかなかロマンティックではないかしら)
しかし今の世の中でその死に様は、物凄く迷惑かも知れないと最近気付き。
(投げ込み塚とかないもんね!)
まぁたぶん、死ぬまでにはまだだいぶ時間があるし。
寿命が近づいたらきっと、納得のいく場所が見えるのだろう。
(適正距離を測るのが下手だから、きっと私はしばしば人を不快にさせてしまうのだな)
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プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
47
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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