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水貼りした和紙の、張りつめた表面。この美しさ。
思えば太鼓って、すげぇ楽器だな。
張りつめた皮の、その表面を叩くのだ。
太鼓ははらわたに響く。
しかし太鼓の皮を見ていても、この和紙を見るような、緊張感と危うい美しさは感じない。
…私が絵描きでなく奏者であったら逆なのか?
いや、太鼓の皮は頼もしい。
叩かれるために、それに適した張られ方をしているわけだ。
技の頼もしさ。
頼もしい美しさ。
和紙は太鼓より、降ったばかりの雪に似ているかも知れない。
まっさら。儚く危うく。
さくさくと踏み回るあの後ろめたさ微量の悲しさ誇らしさ快感。
霜柱を踏みつけるぞくぞくな快感とは少し違う。
そういえば、歌舞伎に於いて降雪を表現する太鼓。
あれ、本当に雪の音に聞こえるよなぁすげぇよなぁぁ。
文様の雪持ち露芝とか、その様がリアルに浮かぶよなぁすげぇよなぁぁ。
スタンダード、てぇのはすごい。
この紙の緊張感を残しつつ、頼もしい画面をつくれたら。
まっさらな紙を見詰め、そこに潜む絵を探る。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで槌の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」
(夏目漱石「夢十夜」より。運慶が仁王を刻む様)
嶋村俊表は、田無神社の本殿を、欅から掘り出したのだろう。
まだまだまだまだ及ぶべくもないが、いつか必ず。
北斎の絵の緊張感。
圧倒的で快活、張りつめ突き抜けた空気が好きだ。
美術館でも街角でも、確実なオーラを放っている。毎度つかまる。
画集を見るたび打ちのめされる。その画力。
進むほどに遠ざかる。
でもいつか、必ず。
江戸東京博物館にて、北斎展か。来月か。
来年3月には、太田記念美術館でもあるんだよな。
……
北斎に、なりたい。
いつか必ず。
……
昨晩板に水貼りした和紙を見つつ飲酒しつつ、ぐるぐる思ったことの一部。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com