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最近読んだ本の中から、面白く感じた部分をそのまま抜き出し。
河合隼雄「猫だましい」より…
(心理療法家の筆者が、猫を人の「たましい」の顕現と捉えて、古今東西の猫を主人公とした作品を基にして人の心の在りようをスケッチする本)
…そもそも近代の医学は、心と体、そして、自と他を明確に区別することによって成立したものである。人の体を「客観的な対象」として(あっさり言えば物体として)研究することによって得た知識と、それに関連する技術によって、治療を行うのである。それは端的に言えば、関係を切断することによって成立してきた学問であり技術である。
ここで少し理屈っぽいことを考えてみよう。一メートルの物差しを二つに切ったとする。そのとき、片方の端が五十センチから一メートルまでとすると、片方の方は0からいくらまでになるのだろう。不思議なことにここには名前がつけられない。こちらも五十センチとすると、もとに戻すと五十センチの点が二つあっておかしい。そこで四十九・九センチにすると、0・一センチ抜け落ちてしまう。このことは数学では連続体問題と呼ばれていることで、粒子をひっつけて全体をつくるのではなく、最初から全体としてある「連続体」というのは、なかなか明確に割り切って考えられないのである。
一本の線分を二つに切断するとき、それぞれの端に名前をつけて明確にすると、必ず抜け落ちる部分がある。このことを、人間存在という連続体に当てはめてみよう。それを「心」と「体」という明確な部分に分けた途端に、それは全体性を失ってしまい、その二つをくっつけてみても元にはかえらない。人間という全体存在を心と体に区分した途端に失われるもの、それを「たましい」と考えてみてはどうであろう。それは連続体の本質である。
(面白いです。手元にあるのは新潮文庫版なのだけど、大島弓子の感想漫画がついてます)
大槻ケンヂ「神菜、頭をよくしてあげよう」より…
(エッセイ。筆者自身がパニック障害を患い、克服しようと神経症関係の書籍を読みあさり…)
…共通しているのは、病をきっかけとして自らの人生を振り返り、ストレスをためない、生きることを楽しむライフスタイルへ改善していくということである。
発作の危機に対しては、計算とか整理とか、単純作業を始めると回避が可能。もし仮に起こしてしまったとしても、別に、発作によって狂うことも死ぬこともないのだから、たとえ最低の状態であっても、その中で今できる最小限のことをなせば、人間としてOKなのである。そうやって楽観的に暮らしていくと、やがて薄紙を剥ぐように、少しずつ、病とうまい具合に共生している自分に気付くようになる。
(元気出ちった。オーケン…思春期を思い出して甘酸っぱい気持ちになるですよ。マジックマッシュルーム、怖ぇな)
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