玉川麻衣の作品、日記、展示等のお知らせです。
新しい作品はカテゴリー「ペン画1」に入っております。
個展 7月:八犬堂ギャラリー(京橋) 10月:ストライプハウスギャラリー(六本木)
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(時間が開いちまいましたが…)
4ヵ月振りで対面した田無神社本殿は、やっぱりとんでもなく素敵だった。
厳かで静謐で、同時に躍動していて楽しげで格好よく、チャーミングである。
江戸の名工・嶋村俊表が、殆ど独りで、2年だか3年だかかけて掘り上げたのだという。
こんな仕事を「神業」というのだろう。
そして「神業」とは人が行なうものだ。
嬉しくなる。
私も生きているうちにこんな仕事をしたい。
「権現という言葉があります。神様が形をとって現れることです」
と宮司氏。
俊表の彫刻。
梁の先が龍・獏・象・獅子の顔となって突き出ている。
お堂のなかに在る力が光や湯気のように漏れ出して、それが瑞獣の姿を纏っているように見える。
言うと、「それが権現ですよ」と。
繋ぎ虹梁の飛龍が纏うものは、水にも火にも大気にも見える。
水も火も大気も、生命に不可欠な「力」だ。
命も神もまた「力」なのではないか。
私は特定の宗教を信仰してはいないが、絵の神様はおわすと思っている。
絵は絵描きよりも先に在る。
絵は、描かせていただくものだ。
そのとき持てる力のすべてを出しきって祈り、授けていただく。
そこに僅かでも甘え・油断・奢りがあったら容赦なく失うし、乗り越えて描き上げることが出来たら、思ってもいなかったようなものを賜ることがある。
感謝の気持ちを忘れず、謙虚に誠実に打ち込むべし。
…私のごく個人的な、(様々な反省も込めて、)絵に対する思い、理想、信念である。
(描く人の数だけ絵があって思いがあって、どれもが真実であると思う。
その上で相性や好みがあるのだと思う)
(とにかく絵に対しては、こうありたいなと。
それ以外については……てへ☆)
「この神殿のなかに宿っているものは、何十年も前からここに在ります。何百年も、何万年も前から在ったかも知れない」
そんなニュアンスのことを、宮司氏が仰った。
「2001年宇宙の旅」に出てくる大きな柱を思った。
それは神・仏であったり、命であったり真理であったり…
私にとっては絵、だなぁ。
絵が私にとっての「権現」なのだろう。
人によってそれは様々な形をとるのだと思う。
科学や愛、金であるかも知れない。
たぶん私は絵を信仰している。
なにを信仰するか、ではなくどれだけ誠実に信仰するか、を大事にしたい。
(誠実な信仰はなにかしら素敵なものを生み出すと思うのだ)
(権力と結び付いた信仰や、依存の隠れ蓑の信仰、他を落としめる信仰は、嫌いだ)
大きな力に触れたら元気になった。
魂が健康になった気がする。
頑張ろう。
(…言葉にすると、どこかが微妙に、決定的に、変容してしまう気がする。
大事なものを取り逃がしてしまっている気がする。
私はこれを絵にするべきなのだろう)
この度お世話になった絵描き友達・深津氏も、ブログにこの日のことを書いてくださってます。
http://aonekoya.com/
田無神社本殿は、毎年11月の酉の日に、公開されます。
画像は団扇裏。

4ヵ月振りで対面した田無神社本殿は、やっぱりとんでもなく素敵だった。
厳かで静謐で、同時に躍動していて楽しげで格好よく、チャーミングである。
江戸の名工・嶋村俊表が、殆ど独りで、2年だか3年だかかけて掘り上げたのだという。
こんな仕事を「神業」というのだろう。
そして「神業」とは人が行なうものだ。
嬉しくなる。
私も生きているうちにこんな仕事をしたい。
「権現という言葉があります。神様が形をとって現れることです」
と宮司氏。
俊表の彫刻。
梁の先が龍・獏・象・獅子の顔となって突き出ている。
お堂のなかに在る力が光や湯気のように漏れ出して、それが瑞獣の姿を纏っているように見える。
言うと、「それが権現ですよ」と。
繋ぎ虹梁の飛龍が纏うものは、水にも火にも大気にも見える。
水も火も大気も、生命に不可欠な「力」だ。
命も神もまた「力」なのではないか。
私は特定の宗教を信仰してはいないが、絵の神様はおわすと思っている。
絵は絵描きよりも先に在る。
絵は、描かせていただくものだ。
そのとき持てる力のすべてを出しきって祈り、授けていただく。
そこに僅かでも甘え・油断・奢りがあったら容赦なく失うし、乗り越えて描き上げることが出来たら、思ってもいなかったようなものを賜ることがある。
感謝の気持ちを忘れず、謙虚に誠実に打ち込むべし。
…私のごく個人的な、(様々な反省も込めて、)絵に対する思い、理想、信念である。
(描く人の数だけ絵があって思いがあって、どれもが真実であると思う。
その上で相性や好みがあるのだと思う)
(とにかく絵に対しては、こうありたいなと。
それ以外については……てへ☆)
「この神殿のなかに宿っているものは、何十年も前からここに在ります。何百年も、何万年も前から在ったかも知れない」
そんなニュアンスのことを、宮司氏が仰った。
「2001年宇宙の旅」に出てくる大きな柱を思った。
それは神・仏であったり、命であったり真理であったり…
私にとっては絵、だなぁ。
絵が私にとっての「権現」なのだろう。
人によってそれは様々な形をとるのだと思う。
科学や愛、金であるかも知れない。
たぶん私は絵を信仰している。
なにを信仰するか、ではなくどれだけ誠実に信仰するか、を大事にしたい。
(誠実な信仰はなにかしら素敵なものを生み出すと思うのだ)
(権力と結び付いた信仰や、依存の隠れ蓑の信仰、他を落としめる信仰は、嫌いだ)
大きな力に触れたら元気になった。
魂が健康になった気がする。
頑張ろう。
(…言葉にすると、どこかが微妙に、決定的に、変容してしまう気がする。
大事なものを取り逃がしてしまっている気がする。
私はこれを絵にするべきなのだろう)
この度お世話になった絵描き友達・深津氏も、ブログにこの日のことを書いてくださってます。
http://aonekoya.com/
田無神社本殿は、毎年11月の酉の日に、公開されます。
画像は団扇裏。
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お絵描きのスイッチを切って茫然と過ごす。
生理中は絵描きの目も勘も閉じるから、描くことが出来ない。
描くこと、描こうとすること、描くことについて考えること、描けなくてどうしようと焦ることを止めると、自分が空洞になるようだ。
生きてんのかな私…
不安になったので、アイロン掛けをしてみた。
(最近読み返した村上春樹の短篇に、動揺するとアイロン掛けをする、という下りがあったので真似っこ。
すぐに成果の見える作業に集中するのは、なるほど癒される)
(私は飲酒しはじめると止まらなくなるし感情的になるので、こういうときに飲んだらいかん)
不意に無性に牛蒡が恋しくなったので、鳥・蒟蒻・人参と煮付けた。
美味いな牛蒡。美味いな牛蒡。
戦時中、捕虜に牛蒡料理を出したら、戦後「木の根を食べさせて虐待した」と訴えられた、という話をどこかで読んだが…
灰汁抜きがなっていなかったのではないかしら。
(勿論とんでもなく複雑でへヴィな背景があっての訴えなのだろうけど…)
とにかく灰汁は抜かんといかん。
でも下茹でして完全に抜いてしまうと淋しいな。
少しの灰汁や癖は美味だと思う。
根菜が好きだ。
大根とか蓮根とか人参とか。歯応えのあるやつ。
豆とか海藻とか雑穀とか…
滋味系の食物が大好きなのだけど、よく人に「焼肉好きでしょ」と言われる。
何故だろう……
(骨付きカルビとか貪り食いそうですか?私)
(あとよくB型でしょ、と言われるけどA型です)
描かない日はなんでこんなに長いんだろう。
貯蓄しておいて、搬入前とかに下ろせたらいいのに。
(だけど時間を持て余す、て贅沢で後ろめたくて不安になるから、足りないくらいがいいな)
生理中は絵描きの目も勘も閉じるから、描くことが出来ない。
描くこと、描こうとすること、描くことについて考えること、描けなくてどうしようと焦ることを止めると、自分が空洞になるようだ。
生きてんのかな私…
不安になったので、アイロン掛けをしてみた。
(最近読み返した村上春樹の短篇に、動揺するとアイロン掛けをする、という下りがあったので真似っこ。
すぐに成果の見える作業に集中するのは、なるほど癒される)
(私は飲酒しはじめると止まらなくなるし感情的になるので、こういうときに飲んだらいかん)
不意に無性に牛蒡が恋しくなったので、鳥・蒟蒻・人参と煮付けた。
美味いな牛蒡。美味いな牛蒡。
戦時中、捕虜に牛蒡料理を出したら、戦後「木の根を食べさせて虐待した」と訴えられた、という話をどこかで読んだが…
灰汁抜きがなっていなかったのではないかしら。
(勿論とんでもなく複雑でへヴィな背景があっての訴えなのだろうけど…)
とにかく灰汁は抜かんといかん。
でも下茹でして完全に抜いてしまうと淋しいな。
少しの灰汁や癖は美味だと思う。
根菜が好きだ。
大根とか蓮根とか人参とか。歯応えのあるやつ。
豆とか海藻とか雑穀とか…
滋味系の食物が大好きなのだけど、よく人に「焼肉好きでしょ」と言われる。
何故だろう……
(骨付きカルビとか貪り食いそうですか?私)
(あとよくB型でしょ、と言われるけどA型です)
描かない日はなんでこんなに長いんだろう。
貯蓄しておいて、搬入前とかに下ろせたらいいのに。
(だけど時間を持て余す、て贅沢で後ろめたくて不安になるから、足りないくらいがいいな)
月のものがきたので一回休み。
のぼせて頭が働かん。
今にも咲かんと張り詰めた桜。
濃密な薄紅の靄を纏っている。
くらくらする。
のぼせて頭が働かん。
今にも咲かんと張り詰めた桜。
濃密な薄紅の靄を纏っている。
くらくらする。
雲龍団扇を、田無神社に奉納した。
昨年、絵描き友達の深津氏のおみちびきで、田無神社に出会った。
なんとも魅力的な神社である。
参拝し、酉の市に行き…
そのなかで、ここに雲龍団扇を奉納したい!と思い立ち、日毎にその思いは募り…
深津氏に相談したところ、先方にお話をして下さり、このたび実現したのである。
雲龍団扇…
昨年夏に「うちわ100人展」という企画に出品した作品である。
竹製の無地団扇に水彩で雲と龍を描いた。
私にしては珍しくどうしても手放したくなくて、手元に置いてあったのだ。
(仕上がった作品に執着を覚えることはまずないのだけど)
しかし何故、こんなに「奉納したい!!」と思ったのだろう。
思い当たることを挙げてみよう。
一、嶋村俊表作の本殿がとにかくとにかくすんばらしい!
(昨年11月13日の日記に感想書いとります)
一、御祭神が龍。
級津彦命・級戸辺命(しなつひこのみこと・しなとべのみこと)の化身である金龍神を中心に四方を青・白・赤・黒の龍神が守っている。
一、境内の空気が、神社特有の突き抜けた清々しさを持ちながら同時に暖かく、昔も今も沢山の人々が行き交って親しんできたのだな、と感じられ…とにかくすんごくいい。
(真っ当でありながら偉振らず開かれていて、遊び心もある。私もそんな絵を描きたい)
一、深津氏を通して聞いた宮司氏の言葉「私たちは祝詞をあげるとき、命懸けなんです」
(私も描くときにそうありたい、と願っている)
一、御神木と、境内を囲む銀杏の木がすんごくいい。
(木好きとしてはもぅ)
一、ここの狛犬は「バカ姉弟」のおねいちゃんによく似ている。
(どうでもいいんだけどね。書きたかったの)
…龍がここに来ることを望んだのだと思えてならない。
私にとって龍は特別なモチーフで、その存在を実感している。
たかが団扇だけど、されど龍、なのだ。
約束の日、深津氏に付き添って頂いて神社を訪ねる。
お初にお目にかかる宮司氏は、静かで言葉に力があって、思っていることを正直に衒わずにお話ししたいな、と思わされる方だった。
江戸彫刻を見直し護る活動をされているそうだ。
勉強になった。
北斎は子供の頃、嶋村家に弟子入りして彫りを学んだのだそうだ。
絵師となってからも彫り師の友達が多く、多くの影響を受けていたとか。
北斎…!!
(北斎になる、のが私の今生の目標である)
雲龍を差し出すと宮司氏が、いちばんに「後期の北斎みたいですね」と言って下さったのが、ものすごく嬉しかった。
本堂に移り、奉納の儀式をして頂く。
(まったく知識なく情熱のまま押し掛けたもので、少し驚いた)
2人の神主氏が笛・太鼓・鈴とともに祝詞をあげて下さる。
頭を下げて戴く。
その間の感覚。すべての垣根が取り払われたような…
そうだ。これは、昨年八王子祭りで御輿を担いだときのこと…
大通りを、千貫と町々の御輿が通ったあと、山車がゆくときの感じに似ている。
(昨年8月7日の日記に書いとります http://www2.tky.3web.ne.jp/~amiganut/ZAKKI10TOP.html)
儀式が終わる。
「これで龍は、神様のもとで神様と等しい存在になりました」
と、そんなニュアンスのことを宮司氏が仰った。
現世を離れ、龍神界の籍に入ったのだそうだ。
(神道世界では、いちばん上が神仙界、続いて龍神界…いちばん下が幽界であり、私たちは現世で修業をしているのだそうだ。強く興味をひかれる。調べてみよう)
そのあと宮司氏が本殿を拝観させて下さり…
(本殿の公開は年に一度酉の市の日だけなので、ものすごくラッキーである)
(これについては思ったこと感じたこと学んだことが沢山あるので、また改めて)
本堂を出るとき、鴨居の上に浮き彫りの笑う龍を観た。
にこやかに楽しげに穏やかに嬉しそうに…素敵な笑顔だ。
「儀式が終わると龍は笑うんです。
笑うことは生きてゆく上でとても重要なのですよ」
本気で描いてきてよかった。
全身全霊で描いていてよかった。
「描くことは祈ることによく似ていると思います」
と言ったら、
「描くことは祈ることですよ。演奏すること、踊ることも同じです」
と宮司氏。
そうだ。間違っていない。
目の前に見えているこの道をこのままゆこう。
それはものすごく楽しいことだ。
このところいくつかのことがあって、視界が曇っていた。
まぁ、この道以外を歩ことは出来ないだろうし。
怖れずゆくぞ。
雲龍が、龍神が、教えてくれたのだろう。
(その弐へ続く)
昨年、絵描き友達の深津氏のおみちびきで、田無神社に出会った。
なんとも魅力的な神社である。
参拝し、酉の市に行き…
そのなかで、ここに雲龍団扇を奉納したい!と思い立ち、日毎にその思いは募り…
深津氏に相談したところ、先方にお話をして下さり、このたび実現したのである。
雲龍団扇…
昨年夏に「うちわ100人展」という企画に出品した作品である。
竹製の無地団扇に水彩で雲と龍を描いた。
私にしては珍しくどうしても手放したくなくて、手元に置いてあったのだ。
(仕上がった作品に執着を覚えることはまずないのだけど)
しかし何故、こんなに「奉納したい!!」と思ったのだろう。
思い当たることを挙げてみよう。
一、嶋村俊表作の本殿がとにかくとにかくすんばらしい!
(昨年11月13日の日記に感想書いとります)
一、御祭神が龍。
級津彦命・級戸辺命(しなつひこのみこと・しなとべのみこと)の化身である金龍神を中心に四方を青・白・赤・黒の龍神が守っている。
一、境内の空気が、神社特有の突き抜けた清々しさを持ちながら同時に暖かく、昔も今も沢山の人々が行き交って親しんできたのだな、と感じられ…とにかくすんごくいい。
(真っ当でありながら偉振らず開かれていて、遊び心もある。私もそんな絵を描きたい)
一、深津氏を通して聞いた宮司氏の言葉「私たちは祝詞をあげるとき、命懸けなんです」
(私も描くときにそうありたい、と願っている)
一、御神木と、境内を囲む銀杏の木がすんごくいい。
(木好きとしてはもぅ)
一、ここの狛犬は「バカ姉弟」のおねいちゃんによく似ている。
(どうでもいいんだけどね。書きたかったの)
…龍がここに来ることを望んだのだと思えてならない。
私にとって龍は特別なモチーフで、その存在を実感している。
たかが団扇だけど、されど龍、なのだ。
約束の日、深津氏に付き添って頂いて神社を訪ねる。
お初にお目にかかる宮司氏は、静かで言葉に力があって、思っていることを正直に衒わずにお話ししたいな、と思わされる方だった。
江戸彫刻を見直し護る活動をされているそうだ。
勉強になった。
北斎は子供の頃、嶋村家に弟子入りして彫りを学んだのだそうだ。
絵師となってからも彫り師の友達が多く、多くの影響を受けていたとか。
北斎…!!
(北斎になる、のが私の今生の目標である)
雲龍を差し出すと宮司氏が、いちばんに「後期の北斎みたいですね」と言って下さったのが、ものすごく嬉しかった。
本堂に移り、奉納の儀式をして頂く。
(まったく知識なく情熱のまま押し掛けたもので、少し驚いた)
2人の神主氏が笛・太鼓・鈴とともに祝詞をあげて下さる。
頭を下げて戴く。
その間の感覚。すべての垣根が取り払われたような…
そうだ。これは、昨年八王子祭りで御輿を担いだときのこと…
大通りを、千貫と町々の御輿が通ったあと、山車がゆくときの感じに似ている。
(昨年8月7日の日記に書いとります http://www2.tky.3web.ne.jp/~amiganut/ZAKKI10TOP.html)
儀式が終わる。
「これで龍は、神様のもとで神様と等しい存在になりました」
と、そんなニュアンスのことを宮司氏が仰った。
現世を離れ、龍神界の籍に入ったのだそうだ。
(神道世界では、いちばん上が神仙界、続いて龍神界…いちばん下が幽界であり、私たちは現世で修業をしているのだそうだ。強く興味をひかれる。調べてみよう)
そのあと宮司氏が本殿を拝観させて下さり…
(本殿の公開は年に一度酉の市の日だけなので、ものすごくラッキーである)
(これについては思ったこと感じたこと学んだことが沢山あるので、また改めて)
本堂を出るとき、鴨居の上に浮き彫りの笑う龍を観た。
にこやかに楽しげに穏やかに嬉しそうに…素敵な笑顔だ。
「儀式が終わると龍は笑うんです。
笑うことは生きてゆく上でとても重要なのですよ」
本気で描いてきてよかった。
全身全霊で描いていてよかった。
「描くことは祈ることによく似ていると思います」
と言ったら、
「描くことは祈ることですよ。演奏すること、踊ることも同じです」
と宮司氏。
そうだ。間違っていない。
目の前に見えているこの道をこのままゆこう。
それはものすごく楽しいことだ。
このところいくつかのことがあって、視界が曇っていた。
まぁ、この道以外を歩ことは出来ないだろうし。
怖れずゆくぞ。
雲龍が、龍神が、教えてくれたのだろう。
(その弐へ続く)
発熱中。
むやみに寒くて痛い。
風に吹かれてがたがた鳴るぼろ屋の心持ちである。
丈夫が取り柄なのにどうしたことだ。
木の芽時だからかしら。
カカオ88%チョコを初めて食す。
うまいじゃないか!
味覚のなかでは辛・苦・酸が好きなのだけど。
これは苦と酸だなぁ。
かなり好みの味である。
甘に関しては…
井村屋のあずきバーとか、紀ノ国屋の葉2枚の桜餅とか、酒のあての干柿とかは美味と感じるのだけど。
キャラメルは、含んで噛んだ瞬間殴られたよな衝撃を感じ、「なにすんだよ甘いじゃないか!」と怒鳴りたくなる。
(怒鳴らないけどね)
上野駅公園口改札近くのクッキー屋の前を通る度、あの甘い空気に突入する度、「ぐわぁ襲撃か!」て気持ちになって足早に通り過ぎる。
辛・苦・酸はがつんと、甘はほのかに、が好みだなぁ。
余談だが友人が、ステラおばさんのクッキーと聞く度に、大勢のステラおばさんたちが工場でクッキーを焼く様を想像してしまう、と言っていた。
…女工哀史のようだなぁ。
全国から集められて来るのかしら。
…
黄昏時、突如立ちこめる不吉な甘い臭気。
気付けば既に…
「たいへん!ステラおばさんがいないわ!」
「うちのステラおばさんもいないよぅ」
…
ところで、朝から腹が潔く下り続けているのだが…
冷蔵庫の隅から発掘した胡乱な南瓜で拵えた味噌汁の所為かしら。
そういや味も胡乱だった。
腹の強さも取り柄なのにちくしょう…
布団に包まって不景気にがたがた鳴りつつ。
哀しいステラおばさんたちが、いつか故郷に帰れますように。
(熱あるからなんかもぅぐだぐだ)
むやみに寒くて痛い。
風に吹かれてがたがた鳴るぼろ屋の心持ちである。
丈夫が取り柄なのにどうしたことだ。
木の芽時だからかしら。
カカオ88%チョコを初めて食す。
うまいじゃないか!
味覚のなかでは辛・苦・酸が好きなのだけど。
これは苦と酸だなぁ。
かなり好みの味である。
甘に関しては…
井村屋のあずきバーとか、紀ノ国屋の葉2枚の桜餅とか、酒のあての干柿とかは美味と感じるのだけど。
キャラメルは、含んで噛んだ瞬間殴られたよな衝撃を感じ、「なにすんだよ甘いじゃないか!」と怒鳴りたくなる。
(怒鳴らないけどね)
上野駅公園口改札近くのクッキー屋の前を通る度、あの甘い空気に突入する度、「ぐわぁ襲撃か!」て気持ちになって足早に通り過ぎる。
辛・苦・酸はがつんと、甘はほのかに、が好みだなぁ。
余談だが友人が、ステラおばさんのクッキーと聞く度に、大勢のステラおばさんたちが工場でクッキーを焼く様を想像してしまう、と言っていた。
…女工哀史のようだなぁ。
全国から集められて来るのかしら。
…
黄昏時、突如立ちこめる不吉な甘い臭気。
気付けば既に…
「たいへん!ステラおばさんがいないわ!」
「うちのステラおばさんもいないよぅ」
…
ところで、朝から腹が潔く下り続けているのだが…
冷蔵庫の隅から発掘した胡乱な南瓜で拵えた味噌汁の所為かしら。
そういや味も胡乱だった。
腹の強さも取り柄なのにちくしょう…
布団に包まって不景気にがたがた鳴りつつ。
哀しいステラおばさんたちが、いつか故郷に帰れますように。
(熱あるからなんかもぅぐだぐだ)
プロフィール
HN:
玉川麻衣
年齢:
48
性別:
女性
誕生日:
1977/05/08
職業:
絵描き
趣味:
酒、読書
自己紹介:
ペン画を制作しています。 詳しくはカテゴリー「プロフィール」よりご覧下さい。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
連絡先→tamagawa10@hotmail.com
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