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博物館の注連家鴨(しめあひる)
夢を見た。
広い、博物館のロビーのような処。
床は白黒の市松で、天井は高くドーム状で大聖堂のような凝った装飾が施されている。
中央に無人のカウンター。回りに低い机と椅子。
誰もいない。
空港や病院の待合室にも似ている。
その中を、背に水引で紙垂をくくりつけた注連飾りのような家鴨が一羽、ぺたぺたと歩き回っている。
短い尾羽をぴこぴこと動かしながら、時折振り返って笑ったような目でこちらを見る。
一隅に、十メートルほどの石造りの橋。
欄干には西洋風の、炎のような唐草のような装飾。
袂は影のように霞んでいる。
渡っていると、向こうからランドセルを背負った数人の児童がやって来て擦れ違った。
児童の一人が何やら緊張した様子で耳打ちをしてくれたのだけど、よく聞き取れなかった。
続いて色素の薄いウェーブヘアの女性が近付いてきて、私が待ち合わせをしている人物についてのあまりよろしくない評判を口にした。
私はその人物に手紙を書かねばならないのだが、紙が薄っぺらく粗悪でうまく書けない。
家鴨がこちらに向かってしきりに鳴きたてている。
橋の対面の隅はちょっとした畳敷きになっていて、素敵な絵の描かれた屏風が並んでいる。
蔓草の花、桜の幹と花、流水…をモチーフにした日本画。
戯画のような狸と兎の墨絵。
橋を離れると人の気配はしなくなった。
家鴨と私の他に誰もいない。
手持ちの紙を全て反故にしてしまったので、手紙を書くのは諦めた。
不意に約束の刻限が迫っていることを思い出し、慌てて外に出た。
建物の外観は映画館に似ていた。
日差しが強い。
急がねばならない。
車道を横切って歩道を歩き、街路樹の陰で一息ついたら、また思い出した。
これからあの建物は爆破されるんだ。
なんてことだ。戻らねば。
いや待て。
違う。
もう既に、爆破されてしまったんだ。
数年、数十年、若しくは数百年前に。
待ち合わせていたのは、その爆破した犯人だ!
なんてことだろう。
私は犯行を止められたかも知れないのに。
博物館は失われてしまった。
胸と頭に「何か息苦しいもの」がぎっしりと詰まって、破裂しそうな心地になった。
…いや待て。
建物はまた建てればいい。
絵はまた描けばいい。
でも。
そうだ。あの家鴨。
私はあれを連れて来るべきだった。
振り返ると、博物館は其処に無く、ありふれた住宅街が広がっている。
「息苦しいもの」が水のような悲嘆に変わり、溢れ出そうな心地になった。
失われた博物館の中で、家鴨だけは生きていた。
それに、だってあの家鴨、とっても可愛かったのだ。
今回は制作中の白昼夢なので、電波大盛りです。
脳内快楽物質の分泌量が過去最高だったのではないかしら。
「あはははイッとる」と指差して笑っていただけたら嬉しいです。
あの、私、あまりスピリチュアルな人ではないですよーーがさつで単純なやつですよーー
創世
絵が仕上がる前日に見た白昼夢
描いていた。
ただひたすらにペンを動かしていた。
そのうちに、意識に薄い布が被さるように白昼夢が始まった。
私は十才前後で、何処までも広がる草原に立って空を見上げていた。
モノクロームの空は何処までも広がり、雲が一杯に流れていて…
何だろう、何と言うか、「元々は私は此処に居た」ような心地がしていた。
描き進むうちに、また別の白昼夢が始まった。
私は年を取っている。
岩山を登っていた。
元々は何かしらの使命感を心に灯していたような気もするのだけれど、繰り返し立ち塞がる何やかやとの対峙のうちにいろいろ磨り減り朦朧として、思考はただ「疲れた。しんどい」に占められている。
そのうちに、大きな岩の重なりの前に辿り着いた。
平らな塚のように積まれた岩。辺りには木片や石、千切れた縄などが散乱している。
気持ちと体が更に重くなった。
何度この岩戸に挑んだことか。
その度に力の全てを振り絞って試みたのに全く歯が立たず、私はすっかり疲弊してしまった。
被さる岩に両手を当てるが、指先も腕もすっかりひび割れて、ろくに力が入らない。
私には、無理なのか。
膝を地に付きうなだれた時、ふと頬に微かな風を感じ…
顔を上げると、目の前の岩が音もなく動いていた。
岩と岩の間から、何かしらの瑞々しく清々しいものが、恐ろしく大量に爆発的に立ち昇る。
間欠泉のように、しかし途切れる気配のないそれは、昇りながら雲となって素晴らしい勢いで拡がっていった。
灰色の重苦しい大気を払うように、空が生まれる。
雲の切れ間からは抜けるような青空が覗き、其処から差す光に照らされて、雲は豊かな色を纏い輝く。
それは、今までに見た何よりも美しいように思われた。
足元にはいつの間にか青々とした草原が広がっている。
もうひとつの白昼夢がぱちりと音をたてて組み合うような心地がした。
私は現在の私である。
聴覚は、寺の鐘の音の余韻のようなもので満たされている。
ふと阿弥陀如来来迎図を思い出し、「あれ、私って死んだんだっけ」と一瞬本気で迷った。
「そうだよ死んだんだよ」と言われたら、「そっか~仕方ないな」とあっさり納得したかも知れない。
いや、そんなことはどうでもよい。
私が死んだのでも生まれたのでも大した違いはない。
今、世界が始まったのだ。
そのうちに白昼夢は薄氷のように溶け、意識は現実に戻った。
描いていた。
ただひたすらに手を動かしていた。
そして同時に声を上げて泣いていた。
自分の状態に気付いた瞬間、手が止まり、泣き崩れた。
胸の内で間欠泉が噴き上がるように、嗚咽が止まらない。
そのうちに嗚咽は咳き込みに変わり、息が苦しくなって、意識が途切れた。
目覚めたら、白昼夢はすっかりと霧散していた。
意識は冷静で、体力の限界が近いこと、最後の一滴まで振り絞れば「完成」に辿り着ける可能性はあるが保証はないことが、わかっていた。
また、この制作の間にはもう白昼夢は見ないこと、また先程のような白昼夢はしばらく見ることがないことを、理解していた。
とにかく、力の限り、描こう。
この白昼夢で感じた圧倒的な幸福感には、大いに励まされるような心地がした。
私は元々あの場所に居て、あの場所に還るような気がする。
本気で描き続ければ、またいつかあのような白昼夢を見るかも知れない。
「あの場所」へ行くことが出来るかも知れない。
それならば、大概のことには耐えられる。
そんな気がした。
(翌日この絵が仕上がりました)
制作のテンションに乗り切れず。
「今日は頑張れない無理!」「ポジティブ品切れ!」ということがあり。
まぁね人の子ですしね。
こういう時は無理をしないのが得策であるので、ペンを置いて絵本を開いた。
安野光雅「旅の絵本」。
このシリーズは、豆粒大の旅人の行く様子を見開きで絵巻物のように追ってゆく構成で、文はなく背景が主役であるようで…
この日はやけに心に響いて、涙ぐんでしまった。
声高に主張するでなく、ただ其処に整然と存在する、その力。
すごいなぁ。
安野さん、やっぱり好きだーー!!
そして夕方、散歩に出た。
暮れてゆく空を、ただ眺める。
なんだかやけに心に沁みた。
弱った時には、元気な時には見えないものが見える気がする。
水彩で遠景を描きたくなった。
たまには弱るのもよし。でも弱ったままでは描けないので勿体ない。
よぉぉし明日には復活だ!!
蕎麦寿司二種。
(卵焼き・干し椎茸含め煮・胡瓜・水菜・新生姜梅酢漬け)
(大根千切り・しらす干し・柴蘇・梅)
蓮根餅(長葱・桜海老・ピスタチオ、片栗粉・酒・塩・胡椒、太白胡麻油で焼いてすだちを添えた)
(照明暗くて色みがいまいち…)
柿の白和え(絹豆腐を二度裏漉して練り胡麻と味噌)
茄子のずんだ和え(衣に砂糖・塩。茄子に薄口醤油)
糠漬け(胡瓜とセロリ)
骨付き鶏と茸と栗の蒸し煮に人参の間引き菜
栗の渋皮煮と、
野菜のムース二種にルッコラの間引き菜。
(パプリカとヨーグルト、アスパラガスとクリームチーズとコンソメ。牛乳・メレンゲ・砂糖・塩)
宴会料理を作るのは、水彩で描くのに似ている気がします。
組み合わせとかタイミングとか…
未熟ながらも愉快愉快。
夢幾夜、下にひとつ載せました。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com