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父の命日なので、父に纏わることいろいろ。
一年前の今日、正確には日付が昨日から今日に変わる頃、父が他界した。
一昨年の末に胃癌が見付かり、手術で除去したが5月頃に再発…最後は自宅で緩和ケアとなり私が腕枕をして看取った。
父に対する思いは複雑で。まだ整理しきれない。
母にとっては優しい、優しすぎるほど優しい夫であったと思うが。私にとっては。
父がいなくなって、私は人権を取り戻し、幾らか生きやすくなった。
父のこといろいろ覚書。
父の最期
腕枕をしてスプーンでスポーツドリンクを飲ませていたら、飲み込めなくなり…
顔を見たら、黒目が一瞬ぐいっと上に上がり、ゆっくりと瞼が閉じた。
荒かった呼吸がなくなり、胸に耳を当てると、早鐘のようだった心音が静まり おそらく最後の呼気の音が聞こえた
廃墟を吹き抜ける風の音のようだなと思った。
父を看取った経験から描いた作品。
F8「八百比丘尼」
癌の父を腕枕して看取った私は おそらく死に近寄り過ぎた。
今もまだ自分のどこか一部分が黄泉に触れているような心地がする。現世がどこか心許ないような心地がする。
なので魂の一部分を削いで黄泉に捧げ、残りの私はもう少し現世を生きようと思います。
F4「葬送-サロメ」
ふいに腕の中に出現した「死」が、何だか不思議で。描かずにいられなかった。
父を看取った後、初めて仕上げた人物と骨。
先ずは花を手向けることが必要であったのかも知れない。
SNSより抜粋。
2022/8/25
父の話しちゃう。
父の治療が緩和ケアに移行した。
元気な頃の父は嫌なやつだった。 借金して遊び回る。弱った人を見下す。母のことは大事にしたが私には掌を差し出して「お金」と言い容姿を貶した。
祖母の認知症からも母の認知症からも目を背けて私に押し付け、私が体を壊すと無視したり怒鳴ったり。
病気になった当初は妙に尊大で、神経を逆撫でされていた。
だけどある時、紙パックの苺ミルクにストローを刺して手渡した際、幼い頃に同じことをしてもらったことを思い出し。諸々の感情を一旦仕舞うことにした。
要介護となった父はしきりに「すみません」と繰り返した。「こういう時はありがとうでいいんですよ」と言うと、恥ずかしそうに「ありがとう」と言うようになった。
「どういたしまして」と笑顔で答えていたら、嬉しそうに「ありがとう」を繰り返すようになった。
父は今まで「ありがとう」の使い方を知らなかったのだろう。
私は父を憎まずに済みそうだ。
9/17
父は日付が変わる頃、私の腕の中で呼吸を止めた。 私は焼酎を飲みながら看取り、飲みながら描いた。
生々流転、此岸と彼岸のあわい、冥界など描いてきましたが… 父は私に 剥き出しの「死」そのものを見せてくれました。
骨格やら心やら、諸々削ぎ落とされて剥き出しになってゆく父は美しかった。
9/21
父を見送りました。 父の骨は綺麗だった。格好いい骨作品を描こう。
火葬場でめっちゃ観察して資料写真撮っちゃった。
連絡先→tamagawa10@hotmail.com